史学でなく文学者による脱藩者・頼山陽の本格評伝 今谷明
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江戸時代には脱藩という不穏な試みで学者になった者が多い。近江聖人とうたわれた中江藤樹、18世紀後半に正確な暦を作った天文学者の麻田剛立(ごうりゅう)などがそうだが、ここで取り上げる幕末の歴史家・頼山陽も典型的な脱藩者である。古代や近代とちがって学制(大学制度)がなかった室町や江戸時代は、学者で立身するのが大変であったのだ。山陽のごときは、京都、大坂の学界にあこがれ、京都で潜伏中に探索につかまり、安芸広島に引き戻されたうえ、座敷牢(ろう)に監禁されたりしている。
山陽はこの幽囚中に史学を志し、47歳の文政10(1827)年に『日本外史』を著す。この書は、子息の頼三樹三郎が安政の大獄で刑死したように、尊王攘夷(そんのうじょうい)運動のイデオローグと捉えられ、戦後の歴史学者から無視された傾向もあったが、評者の見るところ、『日本外史』の優れた点は鎌倉・室町時代、すなわち中世を、明確に「封建」の世と把握したことである。それ以前は、荻生徂徠(おぎゅうそらい)が江戸を封建と言い、蒲生君平は大化前代を封建と称し、今日の用例とは異なる用語であった(拙著『封建制の文明史観』参照)。近代史学の発生以前に、山陽が今日の教科書的理解に達していたことは注目すべきである。
さて、本稿で取り上げる揖斐高(いびたかし)『頼山陽 詩魂と史眼』(岩波新書、1232円)は、国文学者による山陽の本格的評伝であり、また著作…
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週刊エコノミスト
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