皇帝でも政権でもない「中国」にこそ仕えた10世紀の宰相 加藤徹
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10世紀の五代十国時代は、空前絶後の乱世だった。唐の滅亡後、わずか半世紀のあいだに中国の中央では後梁・後唐・後晋・後漢・後周の5王朝が興亡した。王朝の平均寿命は約10年。地方では小国が沸騰する鍋の泡のように消滅を繰り返した。
そんな時代、片田舎の中小地主の家に生まれた馮道(ふうどう)(882〜954年)は、博識多才と穏健な人柄を買われて宰相に抜てきされた。国が滅んでも次の国でまた重用され、結果的に「五朝八姓十一君」に高位高官として仕え続けた。
後世の儒学者は、馮道は無節操で破廉恥だと非難する。たしかに、乱世にあって五つの王朝、11人の皇帝に仕え、20年余りも宰相をつとめるのは異常だ。が、彼は世渡り上手でも風見鶏でもなかった。
礪波護(となみまもる)『馮道 乱世の宰相』(法蔵館文庫、1320円)は、馮道が詠んだ漢詩を含む膨大な資料を駆使し、希代の政治家の生涯を浮き彫りにする。原刊は1966年で、88年の中公文庫版を経て、今回「補編」を加え法蔵館文庫版として刊行された。本書の馮道は「事はまさに実を務むべし」という信念をもつリアリストである。彼が忠を尽くした主人は、皇帝でも政権でもない。「国」つまり中国そのものだった。
947年、異民族の契丹が、後晋王朝を滅ぼし、中国の首都・開封に居すわった。契丹兵は糧食を現地調達した。漢民族の農民は反発し、契丹兵を殺した。中国人は異民族に皆殺しにされ…
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週刊エコノミスト
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