検証・戦後日米首脳会談 第1回 米国が働きかけた安保条約改定 元外務大臣・小坂善太郎(上)(1991年1月8日)
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週刊エコノミストは1991年1月~5月、戦後の日米首脳会談の裏側で何かあったのかを歴代の首相、外務大臣、官房長官などの証言を基に総点検した連載「検証・戦後日米首脳会談」を掲載しました。「エコノミスト創刊100年特集~Archives」でこれを再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。
◇政治的腹話術が大嫌いだった吉田首相
世界の枠組みが揺れる中で、米国にひたすら寄りかかってきた日本外交が見直しを迫られている。今後も、日米基軸は動かないだろう。また動かしてはならないが、あいまいなもたれ合いはもう許されない。新しい日米関係を模索すべく、戦後の日米首脳会談を証言によって総点検する。第1回は小坂元外相に、吉田時代を総括してもらった。
語る人=元外務大臣・小坂善太郎(上)/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二
日当5ドルで講和会議へ
── 日米首脳会談は、90年9月の海部・ブッシュ会談で48回を数えます。その間、一貫して流れている議題は次の3点です。まず第1は安保問題。もう一つは経済問題。いまはもっぱら貿易摩擦ですが、会談当初は米国からいかに援助を引き出すかだった。三つ目は対アジア政策だと思うのです。もちろん中国が中心です。そこで終戦直後の総選挙で国会に議席を得て以来、ずっと日米関係にたずさわってきた小坂さんに首脳会談を総括していただきたい。
小坂 いまの3点は、まさにその通りです。安保も非常な成功で、今日の経済発展というのは安保によってもたらされたといっていいと思う。少ない経費でもって日本の防衛がまっとうされた。その分、経済のほうに全力投球できたということがありますが、もう一つは、やっぱり安保を持っていて日本の国として侮りを受けなかったということが大きいと思います。たとえば無防備である、しかも安全保障は国連に求めるなんていうことをいっている人がまだありますが、それは不可能なことですからね。安保理事会は歴史的にみれば、東西に分かれちゃって結論が出っこないんだから、もっと厳しく日本が危機に立たされたと思うんですよ。
それはなにも対ソという観点からではなくて、対アジア全体の中で、日米安保は意義があった。安保、経済、対アジアは三位一体でした。
── 日米首脳会談の歴史は、1951年9月4日の吉田・トルーマンに始まります。サンフランシスコ講和会議における歓迎レセプションの席でですので、…
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週刊エコノミスト
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