教養・歴史 創刊100年特集~Archives

検証・戦後日米首脳会談 第2回 K(ケネディ)・K(フルシチョフ)会談が米国の対中政策を変えた 元外務大臣・小坂善太郎(下)(1991年1月15日)

歴代の首相、外務大臣、官房長官などに戦後の日米首脳会談の裏側で何があったのかを聞いた連続インタビュー「検証・戦後日米首脳会談」(1991年1月~5月掲載)を再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。

◇日米対等に固執した池田首相

「物乞いに来たのではない」。1961年6月、当時の池田首相のワシントン第一声がこれだった。日米“対等”に固執した首相は、背伸びに背伸びする。米ソの首脳会談の気詰まりが、日本の地位を高めたのも事実。「トランジスタのセールスマン」と冷笑されながらも、日本はひたすらに経済大国の道を歩み始めた。

語る人=元外務大臣・小坂善太郎(下)/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二

値切った対日援助返還

── 池田外交は、経済を外交の武器に活用する、その後の日本外交の基礎をつくったと思います。1961年6月訪米した池田首相は下院の演説で「今度は援助の要請に来たのではありません」と大ミエをきった。戦後16年にして“対等の立場”を強調できたという点で画期的なものでした。

小坂 それには前段があるのです。簡単に触れますと、60年に池田内閣ができて、私は外相をやらせていただいた。安保大騒動のあとだったから、何としても日本の信用を回復するということが必要だった。そこで米国へ行って、またはヨーロッパへ行って説明しなければと、私がやらされた。米国ではガリオア・エロアの返還がむし返された。

 ガリオア・エロアというのは、終戦直後に米国が日本に持ってきた食糧その他の援助のことで、つもりつもって20億5100万ドルにもなっていた。

 ところが、国内では社会党などが返す必要ないという。何となれば国会で感謝決議をしている。「くれていただいてありがとうございました」といったものをまた返す馬鹿ないと、こういうんですよ。私は、それは違うと。感謝決議をやったにしても、向こうが返してくれというものを返さなければ対等の立場に立てないと主張して、野党を説得した。だって、片山内閣当時の平野力三農相が「これは必ず返します」と証文まで書いていたんですからね。首相官邸の下の空き家に資料が保管されていまして、虫がはった大豆とか、腐りかけた小麦粉とか、不当なものはどんどん除いて、20億5100万ドルといわれた援助を4億9000万ドルまで値切ったんです。しかも15年返済で、うち毎年2500万ドルを開発途上国教育・文化…

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