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小泉今日子の心意気 第2回 いつも音楽が流れていた 松尾潔

小泉今日子さん
小泉今日子さん

◇「蓮舫さん、残念でしたが希望を感じた日々でした」

 先の都知事選で小泉今日子が支持を表明した蓮舫は3位に終わり、変革への夢はやぶれた。だが小泉は、この闘いに新しい民主主義の到来を見たようだ。時代に自由に発言する例外的な精神は、どのように生まれたのか? ロック、ジャズ、歌謡曲…常に音楽とともにあったその軌跡を、俊英作家が辿り直す――。

◇姉と手分けして買ったジュリーとアナーキーのレコード

 小池百合子知事の任期満了に伴う東京都知事選は、投開票日の7月7日まで17日間にわたって繰り広げられた。その折り返しを過ぎた6月29日に、自らが代表を務める「株式会社明後日(あさって)」の公式Xで蓮舫候補への連帯を表明したのが小泉今日子だった。 芸能と政治の適正な距離を、誰もが測りかねる時代である。俳優、ミュージシャン、タレントたちが具体性を伴った政治的発言を避けるようになって久しい。官邸や現職知事の側からの声がけでパーティーや式典に出席して笑顔を振りまくことはあっても、特定の政治家の支持を表明する芸能人は皆無に等しいのが実情だ。

 2年前の七夕、小泉今日子は、投開票を3日後に控えた参院選の比例区に立候補していた立憲民主党の辻元清美(1960年4月28日生)のインスタライブに登場した。共演したのは同党の小川淳也政調会長(当時。71年4月18日生)、そして小泉とは親しいライターの和田靜香。長らく衆院議員を務めた辻元は、前年2021年10月31日の衆院総選挙に大阪10区から立候補したものの、日本維新の会が擁立する新人候補の池下卓に敗れ、比例復活もできず落選の憂き目に遭った。一方の小川はその総選挙で香川1区から立候補、当選している。投開票日の3日前に和田靜香の仲立ちで実現したのが、小泉とのインスタライブだった。

 4人のやりとりはきわめて風通しがよかった。夜の生配信とあってか、全員が本心を打ち明けているような自然さも感じられた。小川が「変な話だけど」と前置きをして「政治家を大きくするのは落選と大病と投獄の3つ」と語れば、辻元は間髪を入れず「あたし2個経験してる!」とあざやかに返してみせる。

 このライブの一部始終はいまでも辻元のアカウントで観ることができる。選挙期間中で躁(そう)状態にあるふたりの政治家に比して、小泉は絶えず笑顔を浮かべながらも穏やかだ。辻元は小泉の登場を素直に喜んでいた。20年に検察庁法改正案に小泉が声を上げて抗議したことも挙げて、その行動力を称(たた)えた。しかし同時に、純粋に疑問を抱いているようでもある。なぜ、あのキョンキョンが私のライブに参加してくれるのか、と。

 小泉は、この国に住む誰もが知るあの声で話した。「世界ごとにルールが必ずあって。政治的なことを話したりするとお仕事がしづらくなる感覚が芸能の世界にはあるような気がする」「つまんないことだなとずっと思ってたんですよね。例えば広告の仕事とかをたくさんやっていたときは、その中にいるわけだから、その仕事に対してあまりマイナスなイメージがあるようなものはできないというのがあったけれど、そういうのがイヤで独立した」「政治家の方もそうと思うけど、普通のことを普通にしちゃいけない感覚というのは、すごくもったいないと思って。みんな普通の人間で、みんな同じ軸に立ってる。でも立つ場所は違って、私はここからこう見てるってことを普通に伝えられるといい」

 多くの人びとがリアルタイムで視聴したこのやりとりは、その夜のうちにニュースとなってネットを駆けめぐった。それだけでも辻元にとっては実りの多い企画だったはずだ。だが、本来ならもっと長く、にぎやかに報じられて然(しか)るべきものだった。そうならない理由があった。翌8日、安倍晋三元首相が遊説中の奈良で凶弾に倒れたのである。10日の選挙で立憲民主党は比例代表で7議席を獲得し、辻本は党内得票数1位で当選する。8カ月ぶりの国政復帰だった。

◇蓮舫の敗北、でも希望と、未来への展望

 話はさきの都知事選に戻る。小泉今日子が支持する蓮舫は苦戦を強いられていた。圧倒的な組織票に支えられる現職の小池に対抗する手段のひとつとして、22年の杉並区長選で芹澤悦子(Xアカウント「わたしの金曜日」)という50代女性が始めて知られることになった新しい選挙ムーブメント〈ひとり街宣〉が蓮舫支持者のあいだで広がり、話題にもなった。 投開票の前日、7月6日の午前9時3分。ひとり街宣への誘いと新宿駅南口でのラストスピーチを告知する市民団体のXポストを引用した蓮舫のリポスト。「東京から新しい民主主義が生まれました。

 1人街宣。 1人スタンディング。 それは恥ずかしく、勇気のいることですが、こんなにも連帯の輪が広がり、私を支えてくれています。

 今日、18時半頃には必ず会いに行きますね!」 9時19分。それを引用した小泉のリポスト。「こんな都知事選見たことなかったです。杉並区長選から始まった『1人街宣』が次に繋がった感じでとても素敵です。東京以外の場所でも実践してくれているようで、1人の都民としてみんなにありがとうって言いたい!」

 7月7日、午前8時46分。小泉のポスト。「仕事の前に投票してきました。清々しい朝 #都知事選挙に行こう #投票に行きましょう」 だが、蓮舫は負けた。小池はもちろん、TikTokやYouTubeのショート動画を最大限に活用した元安芸高田市長の新顔・石丸伸二にもおよばぬ第3位だった。

 7月8日、午前5時49分。「都知事選投票率は60・62% 平成以降で2番目の高さ」と報じた毎日新聞の公式Xのポストを引用した小泉のリポスト。「蓮舫さん、残念でしたが希望を感じた日々でした。ありがとう! 投票率上がったね。次はもっと上がるといいな」 太い、だけじゃない。コイズミは未来を見ている。

小泉今日子さん
小泉今日子さん

◇母はいつもお洒落でカッコよかった

 小泉今日子のデビュー曲「私の16才」(82年3月21日発売)と、2枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」(82年7月5日発売)がいずれも女性アイドルのカバー曲であったことは意外に知られていない。20歳で黒澤久雄と結婚して世間をあっと言わせた人気アイドル林寛子が15歳で放った最大のヒット曲である後者はまだしも、79年リリースの森まどか「ねえ・ねえ・ねえ」を改題した前者もカバー曲であることを知る人は、そう多くはないのではなかろうか。

松尾  デビュー曲「私の16才」を与えられたときは、現場でモノを言う余地はなかったと察しますが、それでも16歳の感性で、「この曲は私にとってどうなのだろう?」とは思いませんでしたか?

小泉 レコーディングの時はまだ15歳だったのかな。「何も訳が分かっていなかった」というのが正直なところです。2年先輩に松田聖子さんがいらっしゃって、聖子さんの楽曲が大好きでした。同じ事務所の先輩に石野真子さんがいて、ポップで可愛い曲を歌っていました。私はなんとなく自分に「陽」のイメージを持っていたんだけど、与えられた曲はけっこう暗めの内容で、「大人から見れば、私はおとなしい子なんだな」と思っていました。

 ディスコミュージック好きなら、「私の16才」のイントロの駆けあがるストリングスを一聴するだけで、それがボニーMの78年のヒット「怪僧ラスプーチン」を下敷きにしていることはすぐにわかる。ボニーMは西ドイツ(当時)の野心的な音楽プロデューサー、フランク・ファリアンのプロジェクトとしてデビューしたディスコグループ。21年には「怪僧ラスプーチン」がTikTokで世界的にリバイバルヒットしたことで再評価された。ちなみに、世界中で8億枚以上のレコードを売ったファリアンは、今年1月に82歳で死去した。

 和製ラスプーチンの味わいがある「私の16才」は、タツノコプロ制作の人気アニメ『タイムボカンシリーズ』の音楽担当でもある神保正明が編曲を手がけており、けっして「おとなしい」曲ではない。だがこのときの小泉の歌声はのちのヒット曲に比べて明るさに欠けるきらいがある。

小泉 たしかに私は年齢のわりに、はしゃいだところがなくて、キチンと挨拶(あいさつ)をして、質問されたことにちゃんと答えていたので、「やっぱり、それがおとなしいイメージになるのかなあ」って。

松尾 それは生い立ちにも関係しているんですか。お母様は19歳でご結婚される前は、厚木の飯山温泉で芸者をされていたとか。写真を拝見しましたが、色っぽい方ですね。小泉 母はいつもお洒落(しゃれ)でカッコよかった。父もたくさんスーツやネクタイを持っていて、お洒落でした。松尾 しかもお父様はかつてTBSに勤めていて、その後はカセットテープを作る会社を経営されていた、いわば業界人。

小泉 文化的なことに興味がある家ではあったかもしれないですね。家族みんなに、それぞれ好きな作家がいて。母と姉たちと一緒にテレビで向田邦子さんのドラマを観て、「根津甚八、カッコいいよね」と盛り上がったり(笑)。

松尾 いまで言うウォッチパーティーだ(笑)。小泉 ヤマハの「ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)」で、デビュー前の世良公則&ツイストが出た時に「この人たち、きっといくよね」と言ったりして(笑)。みんなでそんな話をするような家でした。父は映画が好きで、休みの日に映画館に連れていってもらいました。3人姉妹なので漫画を回し読みしたかと思えば、世代ごとに聴いている音楽が違っていた。家族で唯一車を運転できる母は母で、ドライブ中は荒木一郎さんのカセットをずっとかけていました。

◇2人の姉から受けた文化的な刺激

 蓮舫と同じ青山学院高等部出身の俳優・荒木一郎が、22歳で歌手デビュー曲「空に星があるように」を大ヒットさせたのは、小泉が生まれた66年のこと。76年に荒木はデビュー10周年を記念して同曲をセルフリメイクするが、そのとき編曲を手がけたのは、奇(く)しくも小泉の「私の16才」と同じ神保正明だった。

小泉 叔父が「家にステレオを置くところがないから」と言ってステレオを持ってきたので、深くは分からないのに黒人のジャズシンガーのレコードを掛けたりもしていましたね。一番上の姉はジョン・レノンやビートルズ、日本のフォークソングを聴いていました。

松尾 お姉様とはいくつ離れているんですか?

小泉 一番上の姉とは8歳、2番目の姉とは2歳離れています。2番目の姉はベイ・シティ・ローラーズからロック系に行きました。私は素直にピンク・レディーやビューティ・ペアのレコードがほしかったんだけど、姉に「そういうのを聴いているから、お前はダサいんだよ。中学に入ったら、そういうの聴いている人なんていないよ」って言われました。

松尾 マウントを取られていたと(笑)。末っ子はそれこそ浴びるように文化的な刺激を受けるものですけど、その典型ですね。

小泉 そうかもしれませんね。お正月にお年玉をもらうと、姉が「レコード屋に行こう。私が沢田研二の『G.S.I LOVE YOU』を買うから、あんたアナーキー買いなよ」って(笑)。

松尾 ジュリーとアナーキーを手分けして(笑)。『G.S.I LOVE YOU』は、全編曲を伊藤銀次が手がけた1980年発表のアルバム。同年デビューしたばかりの佐野元春がオリジナル曲を3曲も提供していることでも知られる。伊藤と佐野はともに大瀧詠一主導による音楽ユニット、ナイアガラ・トライアングルのメンバー。ただし伊藤は大滝(歌手活動時の表記)、山下達郎との第1期、佐野は大滝、杉真理との第2期。 次回は、日本を代表するパンク・バンドであるアナーキー、内田裕也、そして大瀧詠一といった音楽界のビッグネームたちと、映画を介してつながっていく小泉のキャリアを考察してみたい。<サンデー毎日8月4日号(7月23日発売)より。以下次号)


■まつお・きよし 1968年生まれ。作家・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。平井堅、CHEMISTRY、JUJUらを成功に導き、提供楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超す。日本レコード大賞「大賞」(EXILE「Ti Amo」)など受賞歴多数。著書に、長編小説『永遠の仮眠』、エッセイ集『おれの歌を止めるなージャニーズ問題とエンターテインメントの未来』ほか

サンデー毎日 2024年08月04日号(表紙:ぼっち・ざ・ろっく!)
サンデー毎日 2024年08月04日号(表紙:ぼっち・ざ・ろっく!)

7月23日発売の「サンデー毎日 7月14日号」には、ほかにも「自らも発症した元外科医が教える『がんに克つ5か条』」「9浪の教育ジャーナリストが語る就活『30歳の壁』」「10ページ大特集! アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』」などの記事も掲載しています。

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