教養・歴史 創刊100年特集~Archives

検証・戦後日米首脳会談 第6回 奇異の感を持ったハワイ会談 二階堂進(1991年2月12日)

週刊エコノミストは1991年1月~5月、戦後の日米首脳会談の裏側で何かあったのかを歴代の首相、外務大臣、官房長官などの証言を基に総点検した連載「検証・戦後日米首脳会談」を掲載しました。「エコノミスト創刊100年特集~Archives」でこれを再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。

◇メジャーの反発買った? 田中首相の油外交

 沖縄返還後の日米関係は、次第に経済問題一色となる。摩擦である。中でも田中首相は、米国の手のひらから脱出しようと独自の資源外交に狂奔する。そして挫折‥‥。

語る人=二階堂進/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二

── 田中首相の訪中からまだ、20年もたっていないのに、関係者がほとんどいなくなりまして。

中国は田中に期待した

二階堂 そうだな。田中さんは病気でああなっちゃうし、大平さん(当時は外相)は死んだし。中国側のほうも周恩来首相、それから一番詳しかった日中友好協会の廖承志会長も亡くなったしね。当時、中に入って直接関係した者は、政府側としては僕1人になっちゃった。外務省の人はいろいろおられるけれども。

── その田中さんが日中正常化に取り組む決意を固めた動機はなんですか。

二階堂 田中内閣成立のちょっと前、三木武夫さんと大平、田中の3人が会談して、「日中国交正常化」を党の公約として協力し合うことで話がまとまった。日中国交正常化が総裁選挙の公約だったわけだ。

── 「日中の国交正常化は、いまや国論である。われわれは、政府間交渉を通じて、中国との間に、平和条約を締結することを目途として、交渉を行なう」との合意事項が3人の間で結ばれる。だから三木さんは「日中を田中に…

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