検証・戦後日米首脳会談 第7回 揣摩憶測呼んだ極秘会談 元官房長官・井出一太郎(1991年2月26日)
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週刊エコノミストは1991年1月~5月、戦後の日米首脳会談の裏側で何かあったのかを歴代の首相、外務大臣、官房長官などの証言を基に総点検した連載「検証・戦後日米首脳会談」を掲載しました。「エコノミスト創刊100年特集~Archives」でこれを再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。
◇すっぽかされた外務省と同行記者団
小柄な三木首相と大男のフォード大統領は奇妙にウマがあった。副総理・副大統領時代からの知り合いでもあった。その気安さから外相にも通告しないで2人は密談する。あとで知った同行記者団は、スポークスマンの海部官房副長官をキリキリとつるし上げた。
語る人=元官房長官・井出一太郎/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二
── 三木首相というと、すぐにロッキード事件に結びつくのですが、外交面では何といっても先進国首脳会議(サミット)の開催があります。その絡みで三木さんは75年8月に首相として初めて訪米します。相手はフォード大統領でした。この訪米の先遣隊として外交評論家の平沢和重さんがワシントンへ行きます。三木さんと平沢さんはどんな関係なのですか。
三木と外務省の葛藤
井出 かなり親しかった。そのなれ初めはいつのころか知らんが、少なくとも47年に国民協同党というものができて、その2~3年後、箱根でもって三木主催で外交畑の人が集まった。そのときに平沢さんもメンバーの1人で、僕が行ってみたら紹介された。僕はそこで会ったことが初めてだったんですから、三木さんとの交遊というものはそれよりは古いということになる。
── 彼は外交面で三木さんにかなりの影響力を持っていたんですか。
井出 平沢さん…
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週刊エコノミスト
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