検証・戦後日米首脳会談 第8回 自民党国防族に接触するペンタゴン 元首相・鈴木善幸(上)(1991年3月5日)
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週刊エコノミストは1991年1月~5月、戦後の日米首脳会談の裏側で何かあったのかを歴代の首相、外務大臣、官房長官などの証言を基に総点検した連載「検証・戦後日米首脳会談」を掲載しました。「エコノミスト創刊100年特集~Archives」でこれを再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。
◇「日米同盟」を初めて口にした大平首相
大平首相は一般消費税で、カーター大統領は在イラン大使館の人質事件でともに傷つき、2人は「共存共苦」を誓い合った。が、次期防衛業務見積もりの繰り上げを約束するなど、軍事同盟化が1段と進み、ポスト大平に禍根を残す。
語る人=元首相・鈴木善幸(上)/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二
── ゴルバチョフ・ソ連大統領の来日が4月16日と一応決まっています。ソ連といえば、「北方領土」「シベリア開発」とすぐなりますが、歴史的には漁業交渉も忘れえぬ課題でした。魚と縁の深い鈴木さんには、いろいろと思い出もあるでしょうね。
鈴木 なんといっても1977年の交渉。最初にモスクワ入りしたのが2月、妥結したのが5月だから‥‥。
── 福田内閣の農相時代ですね。日ソ漁業交渉のため3度訪ソと年表に載っています。
北方領土絡んだ漁業協定
鈴木 当時、国連の海洋法会議というのがありましてね。それまで海洋自由の原則があったのですけれど、領海のほかに漁業専管水域とか経済水域とかを設定する動きが出て。おおむね200カイリ、300カイリを主張する国もあった。それで国際法を決めようと国連海洋法会議が開かれたのです。
日本はといえば、海洋国家ですからできるだけ海に垣根をめぐらすようなことはさせたくない、…
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週刊エコノミスト
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