検証・戦後日米首脳会談 第9回 「同盟関係」に固執した外務省 元首相・鈴木善幸(下)(1991年3月12日)
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週刊エコノミストは1991年1月~5月、戦後の日米首脳会談の裏側で何かあったのかを歴代の首相、外務大臣、官房長官などの証言を基に総点検した連載「検証・戦後日米首脳会談」を掲載しました。「エコノミスト創刊100年特集~Archives」でこれを再掲載します。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。
◇「外交は我々がやる」と思い上がっていないか
81年5月、日米共同声明に盛り込まれた「同盟関係」の解釈をめぐって、鈴木首相と外務省が鋭く対立、ついに外相辞任にまで発展して日米関係に瑕瑾を残した。その一部始終を鈴木氏が初めて明らかにした──。
語る人=元首相・鈴木善幸(下)/聞き手=本誌編集委員・鈴木健二
── 大平さんが急逝され、鈴木さんが政権を引き継いだのが80年7月。一方、米国もイランの人質救出に失敗したカーターさんが倒れ、「強い米国」をかかげたレーガー政権が誕生します。81年の5月に2人はワシントンで初会談するのですが、やはり一度来てくださいと米国から話があったのですか。それとも、こちらから訪問したいと申し入れたのでしょうか。
気負っていた米国
鈴木 その年の1月でしたか、就任式を終えたレーガンさんから、できるだけ早い機会にお会いしたいと直接電話がかかってきました。僕も、相互の都合のいい、できるだけ早いときにお会いしたいと、返事をしておった。それで日程を詰めていたらレーガンさんが狙撃されちゃって。その間に私は東南アジア諸国連合(ASEAN)5カ国を回ったわけです。
これは、日米首脳会談をするには、やはりASEANの首脳の考えも聞いておきたい。そしてまた、日本の外交はアジアの心というもの…
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週刊エコノミスト
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