オーダースーツSADA――下請けから直販へ転換し活路開く 大宮知信/7
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スーツ生産販売の「オーダースーツSADA」(東京都千代田区)は、1923年創業の老舗衣料品企業。「迷ったらいばらの道」の精神でたびたび経営危機を乗り越え、成長を続けている。
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「直近の決算(2024年7月期)で売上高は過去最高の42億円。リモートワークが進んだコロナ禍を乗り越えた手応えを十分感じています」。オーダースーツSADAの佐田展隆社長(50)は笑顔を見せる。注文を受けて作るので処分損がないなど販売効率の良さもアドバンテージになる。
現在、オーダースーツを販売する46店舗を全国で展開。25年7月期の売上高目標は50億円だ。かつて掲げた「創業100周年の2023年に100店舗」の目標はかなわなかったが、今後5年、10年の時間をかけてでも100億円企業を目指す。ただ、ここまで順風満帆ではなく、4代目の現社長が経営に携わって以降、会社は危機の連続だった。
V字回復の社長が「解雇」
SADAの前身「株式会社佐田」は戦後、オーダースーツの製造卸で成長した。展隆さんの父で3代目社長の佐田久仁雄さんがOEM(相手先ブランドの受託生産)の受注を進め、街中のテーラーだけでなく百貨店そごうなど大手にも納めていた。
しかし、2000年ごろにそごうやマイカル、長崎屋が立て続けに経営破綻したことが痛打となった。大学卒業後、東レで働いていた3人兄弟の長男の展隆さんが、実家から「戻ってこい」との電話を受けて退職したのは03年。いずれ継ぐつもりではあったが売り上げが激減し、巨額の借金を抱えて倒産寸前だった。
当時、久仁雄社長は借金を重ねて中国・北京工場を作り、最新設備を導入。人件費が安い中国の工場で注文服を仕立てるモデルに取り組んだが、取引先の破綻に直面した。ピーク時に約33億円の売上高は22億円まで下落し、赤字決算だ。有利子負債は24億円に上った。借りた時は今のような低金利ではなく、4~5%が当たり前で金利だけで年に1億円。いくら稼いでも利払いに消え、手元に残らなかった。展隆さんの最初の仕事は、連帯保証人の書類にサインをすることだった。
4代目の展隆社長が考えた起死回生策は、下請けから脱却し新ビジネスを構築すること。製造小売りの会社になると宣言し、積極的に出店する方針を示した。百貨店の御用聞き営業から脱却し、直営店でオーダースーツの注文を受け、中国で作って日本市場で安く売るという戦略だ。
04年、佐田は東京・神田に直営1号店をオープン。初回のお試し価格は1万9800円という業界の常識を破るものだった。卸先のテーラーから「佐田は敵になるのか」と反発もあったが、高齢化で廃業するテーラーも目立つなか、オーダースーツ市場全体の縮小にあらがう策でもあり、テーラーの理解も得られると考えた。この路線転換が功を奏し、売り上げは右肩上がり。北京製品の品質改善が進み、新規開拓も成功するようになり、戻った時17億円に落ち込んでいた売り上げは24億円にまで回復し、黒字転換した。
ところが、ここで予想もしなかった問題が発生した。「隠れ借金」ともいうべき簿外債務が発覚したのだ。…
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週刊エコノミスト
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