円とドル・120年の興亡・下(政策編) 円高対策は実体験を踏まえて考えよ~貿易黒字縮小に努力を 吉野俊彦(1994年3月15日)
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この原稿を執筆したのは1994年3月。同年6月にはドル円・レートは初めて1ドル=100円を突破し、95年4月の史上最高値1ドル=79円75銭まで円高が進んでいく過程にあった。自らを「歴史派エコノミスト」と称した元日銀理事の吉野俊彦さんは当時、この円高をどう捉え、あるべき政策をどのように考えていたのか。アーカイブスで振り返る。
前回は、明治時代に溯って円とドルの関係の歴史的発展過程をたどり、現在は、依然として円高の大きな「うねり」の中にあることを説明した。今回は、円高に対応する政策を考える上で忘れてはならない歴史的事実を紹介するとともに、将来的に生じるであろう諸問題について考える。なお、円高について考えるときは公定歩合との関係も重要だが、これについては紙幅の都合で割愛した。
ドル・円・マルクの三極通貨体制
まず、円高の大きな「うねり」を前提として今後の国際通貨のあり方を述べてみよう。
周知のように、七つの海を制覇したイギリスは、自らの通貨であるポンドを大英帝国の範囲内だけでなく、全世界に通ずる決済通貨・準備通貨・資本取引に使われる通貨たらしめた。したがって、第一次大戦前における世界の通貨・金融の中心地はロンドンであった。
しかし第一次大戦を転機として、アメリカの経済力がイギリスを上回り、その結果として、世界の通貨・金融の中心地はロンドンからニューヨークに移った。とりわけ、1931年(昭和6)秋に、イギリスが金本位制を離脱した後は、ロンドンの地位は著しく低下し、ポンドは旧大英帝国の共通通貨であっても、もはや世界通貨としての隆盛を誇ることはできなくなった。この傾向は第二次大戦を経て決定的となり、それを国際法的に確定したのがブレトンウッズ通貨体制であった。
ドルの減価
しかし、ベトナム戦争に深く介入して以来、アメリカの国際収支の赤字は慢性的になり、終戦直後、世界各国はドル不足にあえいで…
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週刊エコノミスト
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