Q&Aで理解する“経済学の父”アダム・スミス 坂本達哉
有料記事
「神の見えざる手」で広く知られる経済学者アダム・スミスは近年、重要性が再認識されている「共感」について説いた先駆者だった。経済学に今なお深い影響を与えるスミスの思想について基礎から紹介する。
>>特集「経済学の現在地」はこちら
Q なぜ今、アダム・スミスに再脚光?
A 経済学の見直しが必要とされているため
『国富論』(1776年)の出版によって「経済学の父」と呼ばれてきたアダム・スミス(1723~90年、表1は略歴)。近年の“スミス復興”には学界と世界情勢という二つの中長期的な背景がある。
第一は思想史研究におけるスミス研究の隆盛である。欧米でも昔はスミスといえば経済学者や経済学史家の独占物だった。ところが最近では、政治思想、哲学、思想史といった多分野の研究者が顕著な貢献をしている。
「経済学の父」という伝統的理解から、哲学者のヒューム、ルソー、カントなどと並ぶ最重要の啓蒙(けいもう)思想家の一人という位置づけに変化した。
第二は資本主義が直面する数々の危機である。1991年の東西冷戦終結以降、リーマン・ショック、新型コロナ感染症を経てロシアによるウクライナ侵攻まで、人類社会を数々の世界史的出来事が襲った。その根底には、経済格差、宗教と民族の対立、エネルギー・資源など、解決が困難な社会・経済問題がある。
これらの難問を前に旧来の経済学はその有効性を問われている。経済学が危機に直面するとスミスが復活するといわれてきた。現代にスミスの存在感が復活しているとすれば、それは歴史の激動を前に経済学の見直しが必要とされているからだ。
Q 「経済学の父」と呼ばれるのはなぜ?
A 思想の総合性、体系性ゆえ
スミス以前も経済思想には長い歴史があった。古代・中世を別として、スミスはこれを「重商主義」と「重農主義」の2系列に整理した。前者にはスコットランドのヒュームやスチュアートが、後者ではフランスのカンティロンやケネーがいた。そのなかで、なぜ、スミスだけが「父」とされてきたのだろうか。
第一に、スミス思想の総合性と体系性が挙げられる。かつてシュンペーターはスミスを「偉大な折衷家」として評価した(『経済分析の歴史』1954年)。「折衷」とはネガティブな言い方だが、スミスが先行する経済思想を体系的な「経済学」に総合した力量は非凡であった。
第二に、このようなスミスの総合を裏付ける人間本性の哲学があった。スミスは著書『道徳感情論』(1759年)において展開した「共感」の原理に立って、資本主義の多様な姿を考察した。スミス以前の経済思想に欠けていたこの哲学的基礎があればこそ、『国富論』の経済学はより強い訴求力を得ることになった。
リカードウ、ミルまでの古典派経済学者やマルクスからマーシャルまでのより現代的な経済学者まで、経済学史に名を残す経済学者たちは皆、スミスの『国富論』に立ち返り、独自の批判的視点を導入して、それぞれの経済学体系を展開した。
経済学の危機が訪れるたびにスミスが読み直される。マルクスやケインズは経済学の歴史で何度か「死んだ」とされたが、不思議なことにスミスがそう言われたことはない。
Q 『道徳感情論』とは?
A 学界デビュー作で本格的な哲学作品
『道徳感情論』はスミス最初の著作である(表2)。スミスは生前に本書と『国富論』の2著しか出版しなかった。わずか2点の作品で歴史に大きな足跡を残したスミスは希有(けう)な存在だ。
当時36歳のスミスはグラスゴー大学の道徳哲学教授であり、本書は彼の学界デビュー作であった。国内でベストセラーとなり、すぐにフランス、ドイツなどの大陸諸国でも翻訳され、スミスの名声を確立した。フランスのボルテールやドイツのカントは、なぜこのような見事な人間観察の作品が哲学の本場であるドイツ、フランスで書かれなかったのかを嘆いた。
本書が専門家だけで…
残り2350文字(全文3950文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める