今年のノーベル経済学賞が説く“包摂的社会”こそ成長への近道 河野龍太郎
日本経済が長期停滞から抜け出すには、2024年にノーベル経済学賞を受賞したダロン・アセモグルらの論考が大きなヒントになる。
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アセモグルと共に受賞したジェームズ・ロビンソンは、2013年にベストセラーとなった共著『国家はなぜ衰退するのか』で、金権政治がまかり通り、一部の人に経済的恩恵が集中する収奪的制度の下では経済は成長できず、一国は衰退すると論じた。包摂的社会でなければ、繁栄できないのだ。彼らの懸念は、青天井で企業の政治献金が許され、イノベーション(技術革新)の果実が富裕層に集中する米国が収奪的社会に近づくことだった。
灯台下暗し。気が付かないうちに、日本も収奪的社会に向かっているのではないか。10月末の総選挙では、日本版アンチエスタブリッシュメント政党の台頭が目立った。10年代以降、米欧政治は左右対立ではなく、上と下の分断が激しいが、日本もそうなるのか。
生産性は上がっている
総選挙で各政党が掲げたのは、実質賃金の引き上げだ。多くの日本の経済エリートは、生産性を上げなければ、実質賃金の引き上げは難しいという。筆者も生産性向上の重要性は認めるが、我々が抱える問題は成長戦略で対応可能なのか。
図1、図2を見ると、1998年から2023年までの過去四半世紀の間に、日本の時間当たり生産性は30%上昇したが、時間当たり実質賃金は全く増えていない。正確には、21年以降の円安インフレで目減りした。過去2年のベースアップを見て、物価と賃金の好循環が始まったという人もいるが、実質賃金は何とか下げ止まってきたところだ。
他国はどうか。米国は同期間に生産性は50%上がり、実質賃金は30%弱増加した。一方、フランスやドイツの生産性の改善は日本に劣るが、実質賃金はフランスが米国に肉薄し、ドイツも日本をはるかに上回る。欧州では、超過リターン(レント)を資本が独占せず、労働者と分け合う。米国はレントの分配が不十分と批判されるが、日本はさらに劣る。
拙著『成長の臨界』ではもうかってもため込んで、実質賃金の引き上げにも、国内投資にも消極的な大企業が長期停滞の元凶と批判した。
人口減少で個人消費が増えないから国内の売り上げが増えないと、大企業経営者は言う。実際には、実質賃金を引き上げないから個人消費が増えず、国内で売り上げが増えないのだ。採算が取れないから国内で設備投資は増えず、海外ばかりとなる、典型的な合成の誤謬(ごびゅう)だ。
1990年代末に150兆円程度だった企業の利益剰余金は、アベノミクスが始まった2013年に300兆円に膨らみ、23年には600兆円に倍増した。この間、人件費が増えたといっても利益剰余金の急増に比べて、ごくわずかだ。
なぜ企業は今もため込むのか。比較制度分析の泰斗である故青木昌彦は、メインバンク制が崩壊すれば、それが支えた長期雇用制も崩壊し、日本企業の安定的経営が揺らぐと警鐘を鳴らした。メインバンク制は崩壊したが、日本企業は不況時に米国のような雇用リストラを回避するため、自己資本を積み上げるべく、ゼロベアを続け人件費を抑え込んだのだ。
「ゼロベア」の罠
ただ実質賃金が上がらなくても、長期雇用制の枠内にいる人は、不満を口にしない。雇用が守られるだけでなくゼロベアでも、毎年2%程度の定期昇給で属人ベースでは実質賃金が着実に増えたからだ。四半世紀続けば、属人ベースでは実質賃金は2倍弱に増える。
企業のピラミッド組織全体で見ると、皆が毎年2%程度昇給しても、賃金の高い年配の人が退職し、賃金の最も低い新卒者が入社するため雇用コストは全く増えない。
実は、大企業でも現在の部長や課長の実質賃金は、四半世紀前の部長や課長に比べて低く、全く豊かになっていない。ただ、入社時に比べ自らの実質賃金は大きく増えている。だから長期雇用制の枠内にいる大企業エリートは、「実質賃金が増えていない」といわれると、それは生産性の低い中小企業の話であり、彼らが自社のように高生産性企業になるべく、成長戦略にまい進すべきと考えるのだろう。
しかし、大きな落とし穴がある。ベンチマークである大企業の実質賃金が全く増えないと、長期雇用制の枠外にいる人は大きなダメージを被る。近年、労働需給の逼迫(ひっぱく)で、非正規雇用の賃金が多少上がったといっても、元々の水準は相当に低く定昇もない。苦しくても何とか暮らせたのは、ゼロインフレだったからだが、今回の円安インフレで実質賃金は大きく目減りした。
その非正規雇用制は企業にとり、ゼロベアと並ぶもう一つの大きな人件費抑制策だった。非正規雇用の人件費が低いのは賃金が低いからだけではなく、企業が社会保険料を負担しなくても済むからだ。非正規雇用を活用すれば、不況期に容易に削減できるため企業業績は頑健性を増す。
近年、人手…
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