教養・歴史

本庶佑氏の執念が生んだオプジーボにノーベル賞=花谷美枝

京大研究室の本庶氏。2016年6月撮影
京大研究室の本庶氏。2016年6月撮影

ノーベル賞 本庶佑氏に医学生理学賞 がん治療薬オプジーボに結実=花谷美枝 

スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月1日、2018年のノーベル医学生理学賞を京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)と米テキサス大MDアンダーソンがんセンターのジェームズ・アリソン教授(70)に授与すると発表した。

 本庶氏の研究チームは1992年、免疫細胞の表面にある免疫反応にブレーキをかける「PD─1」分子を発見し、がん治療薬「オプジーボ」の開発に道をつけた。ヒトの体に備わった免疫の力でがんと戦う「がん免疫療法」という新しい治療法を見いだしたことが評価されての受賞となった。

 本誌は16年7月19日号特集「がんは薬で治る」で本庶氏にインタビューしている。本庶氏は歯に衣(きぬ)着せぬ率直な語りで記者にも厳しいと聞いていたので、鴨川に近い京大医学部の研究室を訪れるまでは緊張した。だが、インタビューでは専門用語を極力使わず、なぜ従来の抗がん剤ではがんを治せないのか、PD─1分子はなぜ有効なのか、書類の山から引っ張り出した雑誌の写しを指差しながら熱心に解説してくれた。

執念が生んだ薬

 真摯(しんし)な説明は、開発段階で製薬会社の理解を得られなかった苦労があったためだろう。本庶氏は02年にPD─1分子の有効性を動物モデルで確認した後、臨床応用に進むため小野薬品工業とともに製薬会社に協力を求めたが、すべて断られたいきさつがある。なぜ、PD─1分子の発見から製品化まで22年もかかったのかという記者の質問に、「日本の製薬会社がまったく興味を示さなかったからだ」と語気を強めたのが印象に残っている。

 製品化への手ごたえをつかんだのは12年だったという。まとまった臨床試験のデータが発表されて、海外メディアが大きく報じた頃だ。ただその局面になっても、日本のメディアでの報道はそれほど大きくなかった。

 受賞決定後の1日の会見で本庶氏は、「基礎研究の結果を社会に還元したい気持ちが常にあった」と語った。賞金約5750万円は大学に寄付し、若手研究者育成のための基金を設立する意向を示している。一方で、製薬会社に対しては「日本の研究機関には良いシーズ(研究の種)があるのに、海外の研究所にたくさんお金を出している。まったく見る目がない」と苦言を呈すなど、研究への理解を求める場面もあった。

(花谷美枝・編集部)

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