韓国社会の意識 摩擦招いた道徳的“正しさ” 大統領の個性は関係ない 澤田克己
8月15日のソウル都心は朝から騒がしかった。ソウル市役所を中心にした半径1キロほどの空間でいくつもの集会が開かれ、朝から夜までシュプレヒコールが鳴り響いた。
日本の植民地支配から解放された「光復節」の日である。最近の日韓関係を考えれば、日本批判が渦巻いたのだろうと想像してもおかしくない。だが周辺を終日歩き回った私の受けた印象では、日本は脇役にすぎなかった。主役は、文在寅(ムンジェイン)大統領と朴槿恵(パククネ)前大統領を巡る韓国内の対立である。
この日あった集会のあらましを紹介しよう。まずは昼前から、徴用工問題解決を日本に要求する集会が市役所前広場で行われた。参加者は600人ほど。午後に入ると、文在寅政権を「左派独裁」と非難して退陣を要求する保守強硬派の集会が始まった。日本との経済戦争を引き起こし、米国との同盟も危うくしている文氏に即時退陣を要求、朴氏の即時釈放を求める叫びがこだまする。保守派の集会は乱立し、北へ徒歩5分ほどの光化門広場やその周辺でいくつもみられた。
大音量の「文在寅やめろ」コールをくぐり抜けて光化門広場の北側に行くと、夕方からロウソクを手に日本を批判する「ロウソク集会」が始まった。ロウソク集会では日本製品不買運動への参加や、24日に更新期限を迎える日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の廃棄が呼びかけられた。同時に力点が置かれたのは「親日派」批判であり、文政権が強調してきた「積弊清算」つまり「積み重なった悪弊の清算」だった。彼らにとっての「親日派」とは、文政権が「積弊」と規定して敵視する保守派のことである。
警備関係者によると、市役所前での保守強硬派集会の参加者は約3万人、ロウソク集会は約1万人。互いに相手を罵倒する集会が横並びで開かれる様相は、韓国政治の現状そのものだ。ただし、保守強硬派の主張は過激すぎるので現実政治への影響力が大きいわけではない。この点は注意が必要だろう。
「日米こそ世界」から脱却
500年以上にわたる朝鮮王朝の時代を通じて儒教意識が社会に根付いた韓国では、「理念」が重視される。現政権の「積弊清算」は代表的なものだが、それだけではない。1987年の民主化以前の開発独裁時代は、経済成長を優先する現実主義的な保守派と、民主化という理念を主張する進歩派という色分けがあったが、民主化によってそうした区別は徐々に薄れていった。保守派も理念色を強めたのである。儒教という社会的背景を考えれば、その方が韓国では自然だ。
そうした流れの中で重視されるキーワードは「正しさ」だ。「正しい」かどうかという道徳的概念が、価値基準の最高位に置かれる。それは他者と必ずしも共有されないので激しい衝突を引き起こすことになる。8月15日の集会で見られたように、保守派と進歩派が互いに相いれない主張を繰り返すことは象徴的だ。この「正しさの重視」が、昨今の日本との摩擦の根底にある。
そして韓国の民主化と前後する時期に、日韓関係の構図を大きく変える世界史的な変化が起きた。89年の冷戦終結である。冷戦終結と民主化、さらに韓国の経済成長という要因があいまって、日韓関係はそれまでの「日本が圧倒的優位にある垂直的関係」から「対等に向き合う水平的関係」へと転換し始めた。
冷戦期の韓国は東西対立の最前線と位置づけられ、中国やソ連といった社会主義圏とは国交を持つことを許されない国際情勢の中で生きていた。安全保障と経済の両面での日米への依存は決定的で、当時の韓国にとっては「日米こそが世界」だと言っても過言ではなかった。だから時に日本との間で摩擦が生じたとしても、それを放置しておく余裕はなかったのだ。国家としての生存に、日本は不可欠の存在だった。
ところが現在では、韓国にとって最大の貿易相手国は中国である。韓国経済は先進国水準に達し、その後の通貨危機やリーマン・ショックも無難に乗り切ってきた。サムスン電子に代表される世界的大企業も出てきて、一部の分野では日本企業を完全に圧倒するようになった。安保面で北朝鮮の脅威が残るとは言え、北朝鮮との体制間競争は完勝に終わったというのが韓国人の感覚である。
今でも日本の方が総合的な国力は上だろうが、かつてのように圧倒的な国力差があるわけではない。韓国にとって日本は依然として重要な国の一つではあるものの、相対的な重要度は著しく低下した。日本による輸出規制の強化に対する反応が強気なのも、こうした感覚を反映したものだろう。
意識変化は不可逆的
理念重視の伝統への回帰と、日本の相対的な重要度低下。この二つは、韓国の進歩派と保守派に共通する感覚だ。保守派である朴前大統領が就任当初に慰安婦問題で日本と激しい対立を演じたのも、実利より「正しさ」を重視した結果である。慰安婦問題についてはそれでも米国からの圧力を受けて妥協したが、朴氏は内政や対北朝鮮政策でも理念的な面が目立った。保守派だから現実路線、などと言えないのは明らかだ。
日本の一部には、「文政権の間は(日韓関係の修復は)難しい」という考えがあるが、それは現実から目をそらした空論にすぎない。現在の対日外交に文氏のキャラクターが反映されているとしたら、それは文氏がそもそも国際情勢に関心を持ったことのない人物だったという程度にすぎない。対日外交に大きな影響を与える韓国社会の意識変化には、大統領の個性ではなんともしようのない不可逆的な部分が大きい。それを認識した上で、韓国との関係を適切に管理する方策を考える必要があるだろう。
(澤田克己・毎日新聞外信部長)