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「ポピュリズム台頭の原因は不平等と不十分な民主主義」アマルティア・セン 米ハーバード大学教授

アマルティア・セン 米ハーバード大学教授(撮影=岩田太郎)
アマルティア・セン 米ハーバード大学教授(撮影=岩田太郎)

「ポピュリズム台頭の原因は不平等と不十分な民主主義」

 1998年、アジア初のノーベル経済学賞を受賞した米ハーバード大学のアマルティア・セン教授。経済格差やポピュリズム台頭の問題をどう見ているのか聞いた。

(聞き手=岩田太郎・在米ジャーナリスト)

── 2008年の金融危機以来、資本主義や自由経済の限界が認識されるようになった。どうすれば、限界を乗り越えられるか。

■資本主義も自由経済も市場のダイナミズムに依存しているが、同時に(暴走)抑制のための規制がある。

 資本主義は視野が狭いため、私の友人である浜田宏一氏(米エール大学名誉教授)が唱えたような、政府による創造性の奨励など正しいインセンティブの提供が必要だ。浜田氏は、日本政府に教育や創造性の重要性を強調し、それらが経済をよりよく機能させることを納得させた。そうした成功は例外に過ぎないが……。

 課題は、各国政府がやるべきことをどれほど理解し、実行しているかだ。資本主義や市場経済は良いものをもたらし得るが、一方で資本主義が(十分に)規制されていなければ、08年に米国から世界に拡大した金融危機のように、間違った方向に行き着いてしまう。

「大きすぎる政府」は誤診

── 前回の危機では、経済再生に向け、政府が多額の財政出動を行った。

■それは正しいことだったが、同時に巨額の国家債務を抱えることになった。市場の失敗を補うために国が借金をし、問題は市場ではなく政府となった。08年には市場の失敗が議論されたが、10年ごろには「政府が大きくなり過ぎた」と言われるようになった。だが、それは「誤診」だ。政府が大きくなり過ぎたのは、市場経済が機能せず、政府の支援が必要になるくらいに失敗したからだ。

 だから、本質を考える必要がある。米国ではレーガン政権時代から規制撤廃が行われ、それが継続した。その過程で、浜田氏が説くような肯定的な政府の役割が、米国だけでなく日本などでも軽視されるようになった。

右派「同盟」のサルビーニ書記長(中央)を支持するイタリア国民は多い(Bloomberg)
右派「同盟」のサルビーニ書記長(中央)を支持するイタリア国民は多い(Bloomberg)

── 各国が貧困や経済格差の拡大に効果的に対処できないことが、現在の国家主義やポピュリズムの台頭を招いたように見える。

■経済的な不平等が、「人々の利益が顧みられていない」というようなポピュリストのスローガンにつながるのは事実だ。だが、それだけがハンガリーやチェコ、イタリアなどにおけるポピュリズムの台頭の原因ではない。

 相当な部分において、不十分な民主主義の実践がポピュリズムの台頭を引き起こしている。たとえばイタリアでは、国民の不満がアラブやアフリカからの移民に対する反感へと変わっていった。移民の数が少ないにもかかわらず、政治面では移民問題が支配的なテーマになっている。(右派「同盟」書記長の)マッテオ・サルビーニ氏などは、その波に乗ったわけだ。

 だから、見識のある、検証の入った対話の必要性が非常に大きい。右派ポピュリストが「経済的な不平等は間違っている」と指摘するのは、ファシズムやナチズムが台頭した時との類似性があるからだ。

── つまり、国家主義やポピュリズムの台頭は経済格差の拡大そのものではなく、民主主義の機能不全によるものだと。

■そうだ。なぜ経済的な不平等がこんなにひどいのか、何ができるかを考えた時、そこに行き着く。重要なのは、(そもそも数の少ない)アフリカ移民のイタリア流入を防ぐことではなく、イタリア国内の政策を貧者に優しいものにすることなのだ。

狂気の排除ではなく対話

(英政治哲学者の)ジョン・スチュアート・ミルが構想した民主主義は、参加型の「対話による政府」だ。それが実現すれば、権威主義の台頭や言論の自由に対する抑圧は避けられるはずだ。また、「対話による政府」には、国家主義やポピュリズムに抵抗する言論に果たす役割がある。極端に偏った情報や狂気の主張は抑圧し排除するのではなく、より正確かつ筋の通った理性を用いた対話の中で対処すべきだ。

── 一部ではグーグルやアマゾンなどのIT大手の台頭が、経済格差の拡大を悪化させているとの論調がある。

■実際にそのような結び付きがあるかを調査して明らかにした研究は少ない。逆に、フェイスブックなどのSNS(交流サイト)は、人々の政治プロセスへの参加を助ける面もあるため、必ずしも不平等を拡大するだけではないと思う。そうした論はエビデンス(根拠)が十分ではないのに、結論に飛びついているように見える。もちろん、それは正しいのかもしれないが、それを証明した研究はまだ見たことがない。

── 政府が全国民に最低限の生活に必要な資金を定期的に支給する「ベーシックインカム」は経済格差の縮小に役立つと思うか。

■英仏やスウェーデン、オランダなど医療保険や基礎教育などの基盤が整備された西側諸国や日本であれば、ベーシックインカムは間違いではないと思う。しかし、私の祖国のインドなどでは悲惨な結果を招くだろう。なぜなら、国民皆保険や全国民の義務教育が保証されていないからだ。

 収入の不平等を解決するだけではなく、医療や教育の不平等も是正しなければならない。市場経済は往々にして医療や教育の資源の分配に誤りが生じる。そのような国では、社会公共政策により多くのお金を注ぎ込むことが、単に人々にお金を与えるよりも重要になってくる。そのため、ベーシックインカムの是非は国によりけりだ。

 米国のように医療の質は世界一だが、医療保険を持たない貧しい人が多い国では、格差が是正されるまではベーシックインカムの導入は待ったほうが良いだろう。中国はインドよりは医療や教育面で進んでいるが、それでも待ったほうが良い。

米選挙制度に「欠陥」

── 米国政治が米経済に与えている影響をどのように見るか。

■そもそも米国の大統領選における選挙人団制度(有権者が州ごとに選挙人団を選び、その選挙人団が大統領を選ぶ制度)は、民意を直接的に反映しない欠陥を抱えている。トランプ米大統領は当選後、長年培った不動産開発業者の観点を持ち込んだが、米国人が必要としていたのはそのような考え方ではなく、ジョンソン元大統領がすべての人に届く政策を心掛けたような、より幅広いものの見方だったと思う。

── 民主党の大統領候補に、そのような考えの人はいるか。

■私のような外国人がコメントして他国の政治に関与することは控える(笑)。(上院議員の)エリザベス・ウォーレン氏、(前副大統領の)ジョー・バイデン氏、(前ニューヨーク市長の)マイケル・ブルームバーグ氏、(上院議員の)バーニー・サンダース氏など個別の候補の考え方よりも、米国が国民皆保険などの分野で、西欧諸国や日本やカナダなどの個別モデルにいかに学べるかが重要だと思う。

── 米中貿易戦争の帰結はどうなるか。

■現在のホワイトハウスは歴代政権と違い、国際貿易が世界を良くするとの考えを持っていない。だが、(米中貿易戦争の)結果はどうなるかは分からない。

── 現在の日本経済に対する見方は。

■世界経済におけるペースセッター(先導役)である日本の成長率は減速を続けて0%台と決して高くない。国際通貨基金(IMF)などは、さらに0・5%あたりまで低成長になると見ている。ここで先進国に(急成長で)追い付こうとするインドのように、年間9%台の成長が5%に落ち込めば重大な惨劇となるが、日本は状況が違う。とはいえ、1%台の成長は達成可能なのではないかと思う。

「日本化」はアンフェア

── 日本の著名な経済学者である故・森嶋通夫氏や故・宇沢弘文氏とも交友があった。

■宇沢氏は環境問題により大きな関心を寄せていた。私の英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)における同僚であり、より親しかった森嶋氏は現在に至るまでに誕生した経済学者の中で最も偉大な一人だと思う(笑)。数理経済学で素晴らしい業績を残した。

 1964、65年ごろに大阪大学で教えていた森嶋氏を訪ねたこともあるし、私が71年にインドを離れてLSEへ赴任したのは、森嶋氏がそこにいたことが非常に大きな理由だった。行ってみて、実際に有益であった。ロンドンでは、彼は日本の経済人が持つ倫理というオリジナルな研究を始めていた。最高経営責任者にとって利潤だけが動機付けになるのではなく、倫理が働き、それによって日本経済が益を受けているとの説だった。

── そうした倫理は、現在の日本では失われているように見える。

■その通りだ。森嶋氏が独創的だったのは、企業人を含む人々の動機付けが利潤のみではないということで、そのメッセージは今日も当てはまる。浜田氏が創造性を説くのも、それに類似したところがある。人間の関心は、経済的利益のみではなく、より幅の広いものであるということだ。

── 低成長、低金利、長期停滞などに特徴付けられる「日本化」が欧米にも拡大しているとの説について、どう思うか。

■世界経済の足を引っ張るというような否定的な意味で使われる言葉だが、明治維新以降の日本の歴史を見れば、日本は長期にわたって世界経済の拡大に大いに貢献してきた。そのような言い方はフェアではない。あまり中身のある用語とは思えない。


 ■人物略歴

Amartya Sen

 ハーバード大学教授(経済学・哲学)。1933年インド・ベンガル地方生まれ。59年に英ケンブリッジ大学で博士号(経済学)取得。インドのデリー経済大学教授、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授、英オックスフォード大学教授などを経て、2004年から現職。98年に「社会的厚生と貧困の経済学への貢献」でアジア人初のノーベル経済学賞を受賞。主な著書に『不平等の経済学』『貧困と飢饉』など。

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