インフレ、危機時に高騰! データで読み解く金相場のウラ・オモテ=市岡繁男
金(ゴールド)価格が足元で一時1トロイオンス=1700ドルを超え、高値圏での推移を続けている。なぜ今、究極の安全資産である金が買われているのか。その背景には、これから起きうる未曽有の経済危機に備えている面もあるように思う。金価格上昇の背後にある要因をさまざまなデータや世界経済の動きから探り、この先を見通してみたい。
今回の新型コロナウイルス感染拡大による犠牲者は世界全体で3800人程度(3月9日現在)で、今のところは直接的な影響は軽微だ。だが、最初に感染拡大した中国からの製品供給と物流が遮断されたことで世界経済が被る打撃は大きい。疫病の流行が短期で終息する場合はともかく、数カ月以上に及ぶ場合は、1981年から39年間も続いてきた金利低下が終焉(しゅうえん)を迎えることになろう(図1)。
長期金利の世界的な指標である米10年国債利回りは、15%超を記録した81年以降、下落を続け、今年3月3日には史上初めて1%を割り込んだ。長い目で見れば、ここまで金利低下が続いてきたのは、IT化の進展で生産性が向上したこともあるが、80年代以降、労賃が安い中国で消費財を中心とする大量生産が始まり、広範に物価を押し下げたことが大きい。
世界債務は「2京円」
それが、今回の新型肺炎の影響で中国からの供給が縮小し、モノ余りからモノ不足へと劇的な変化が起きつつある。マスクの在庫が払底しているのはその一例だ。いまや、需給の逼迫(ひっぱく)に起因するインフレが頭をもたげ始めているのである。各国の中央銀行は特にリーマン・ショック(2008年)以降、低インフレを背景に金融緩和による低金利政策を続けてきたが、消費者物価が上昇し始めると低金利政策を維持できなくなる。
世界経済は低金利の持続を前提に、総額187兆ドル(約2京円)の債務を積み上げてきた(国際決済銀行、19年9月末時点)。ここで金利が上がるならば、極端な話、債務不履行が多発して金融システムを揺るがす事態になりかねない。だが、究極の安全資産である金は、そうした債権債務から構成される金融システムの埒(らち)外にある。
そんな時限爆弾とも言える金融債務について、まず中国の状況を見てみよう。中国の経済発展は多額の債務をてこに成し遂げられた。09年から19年にかけて名目GDP(国内総生産)は8・8兆ドル増加したが、民間債務は21兆ドルも増加している。その間における世界の民間債務増加額(41兆ドル)の約5割を中国一国が調達した計算だ(図2)。
バブル期日本と似る中国
そしてその過程で、中国の民間債務比率(民間債務総額÷名目GDP)は150%から205%に急拡大した。そして驚くべきことに、その増加パターンは27年前の日本と酷似している(図3)。90年代後半の日本では、不良債権の表面化を恐れた銀行が、倒産寸前の「ゾンビ企業」に利息分を追い貸ししていた。いま中国の銀行も同じ状況だと思う。今回の新型肺炎の流行で中国の「ゾンビ企業」は軒並み倒産に追い込まれるだろう。
次に中国に資源を輸出する国も危うい。中国の素材消費・生産の対世界シェアは多くの品目で5割を超えており(図4)、その買い付けが縮小すると打撃が大きいからだ。石油を例にとると、今年1月上旬は1バレル=65ドルだったが、その後、一時は27ドルを付ける水準まで下落した。天然ガスに至っては99年以来、実に21年ぶりの安値に沈んでいる。報道によれば、中国の石油需要は例年より2割も減少しているという。
アル・ゴア元米副大統領は、「石油関連業界の資産規模は22兆ドル(約2400兆円)もあるが、これは巨大なサブプライムローン(信用力の低い個人向けの住宅融資)みたいなもので、バブル崩壊の危機に瀕(ひん)している」(12月11日付、英『フィナンシャル・タイムズ』紙)と語っている。それが現実になった場合の衝撃はリーマン・ショックの比ではあるまい。
財政・金融の総動員
今回の危機は、原材料の需要減少で資源価格が下落するデフレ圧力と、製品供給の減少で消費財の価格が上昇するインフレ圧力という二面性を有している。これに対し、各国政府が描いた処方箋は、2月21日のG20(主要20カ国・地域)財務相・中央銀行総裁会議で表明した財政政策や金融政策の総動員だが、こうした政策は金の押し上げ材料以外の何ものでもない。
前者の財政政策は需要を喚起する政策であり、供給不足の中、インフレの種をまいているようなものだ。一方、後者の金融政策も同じ結果をもたらす。3月3日、米連邦準備制度理事会(FRB)が臨時の連邦公開市場委員会(FOMC)で政策金利を0・5%引き下げた。だが、先進国中銀の利下げ余地は乏しく、今後は国債買い入れを柱とする量的緩和策の拡充が検討されよう。これは通貨=国債の増発に他ならない。
実際、米国債の残高はこの10年で3・6倍に増加した。これに対し、金の産出量は10年間の累計で推定現存量の約3割しか増えておらず(図5)、金のドル(米国債)に対する相対価値は年々高まっている。リーマン・ショック以降、米国債発行残高に占める海外投資家の割合は64%から43%に急減する一方で、世界の公的金準備は約3万トンから3・4万トンに増加した。こうした新興国を中心とする金シフトは今後さらに進行しよう。
実質価格でも高値更新?
第2次オイルショックなどを受け、インフレがピークに達しようとしていた1980年1月、金価格は1トロイオンス=800ドルの高値を付けた。その時の高値を抜いたのはリーマン・ショック直前の07年12月のことだった。その後も08年9月のリーマン・ショックを挟んで上昇を続け、1900ドルを超える史上最高値を付けたのは、ギリシャなど欧州債務危機が山場を迎えた11年9月のことだった。
つまり、金価格はインフレや金融危機時に高騰する歴史をたどってきた。だが、物価上昇率で割り引いた金の実質価格の推移をみると、いまだ80年の高値を更新していない(図6)。もし今回の新型肺炎の影響が長期化し、これまで金価格の高騰を促してきたインフレや金融危機が起きるなら、金価格は実質ベースでも40年前の高値を更新することになるだろう。
(市岡繁男・相場研究家)