日本型「企業別労働組合」の源流=濱口桂一郎/4
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日本の労働法政策史の中で、渋沢は2カ所登場する。工場労働者の保護を目的にした「工場法」の制定と、労使協調のための研究調査をする「協調会」の設立である。前者は労働基準法の前身で、後者は労使協議制に関わる。
「労基法」に一転賛成
渋沢自身がその先頭に立って進めた近代日本の産業化は、先進諸国と同様にさまざまな労働問題をもたらした。とりわけ、渋沢が設立した大阪紡績(現東洋紡)をはじめとする繊維企業は、若い(むしろ幼い)女子工員を昼夜問わず駆使し、長時間労働が過労や結核などの社会問題を引き起こした。
これに対し、当時の政府が工場法による労働時間規制を試みたとき、渋沢は規制反対の先頭に立った。1896(明治29)年には「夜業はいけないということは、確かに人間は鼠(ねずみ)とは性質が違いますから、昼は働いて夜は寝るのが当たり前である、学問上からいうとそうでございましょうが、しかしながら一方からいうと、なるべく間断なく機械を使っていく方が得である、これを間断なく使うには夜業ということが経済的にかな…
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週刊エコノミスト
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