マーケット・金融

全国地銀100行で最小地銀が貸出金利回りで上位2位の理由

コスト削減のため、四半期報告も廃止する佐賀共栄銀行の二宮洋二頭取(佐賀共栄銀行提供)
コスト削減のため、四半期報告も廃止する佐賀共栄銀行の二宮洋二頭取(佐賀共栄銀行提供)

日本一少ない総資産の地銀が、佐賀市にある第二地銀「佐賀共栄銀行」だ。創業から72年の歴史があり、銀行本来のもうけに大きく寄与する貸出金利回りが地銀全100行中2位の高さだ。その理由を二宮洋二頭取に聞くと、意外な答えが返ってきた。(聞き手=中園敦二・編集部)

―― 超低金利とコロナ禍のダブルパンチで、地元に根ざした地銀の存在意義が問われている。

■例え話だが、行きつけの料理屋さんで「上手いもの出して」と言っておいしい料理がでれば、自ら喜んでお金を払うもの。地銀も顧客にいい情報や事業承継の解決案を持って行って、役に立つことでお金をもらえばいい。極端な例だが、お年寄りのご自宅に行って「電球が切れているので取り換えましょうか」とか、「いつもみなんさんのことを気にしていますよ」ということを口に出して行動することが大事だ。

―― 実質無利息・無担保融資(ゼロゼロ融資)があって、融資額は増えるだろうが、アフターコロナはどうなる?

■とりあえず借りておこうということで、投資されずに預金に回されている。銀行にとって収益のフォローにはなる。コロナ禍支援による融資の返済が始まれば、融資額が落ちるが、われわれの融資(プロパー融資)はそんなに落ちはしない。

 ただ、今年から来年にかけて倒産が増えるだろう。今はコロナ禍関連支援資金で息をつないでいるが、上手くいかずに倒産・廃業すると銀行の貸し倒れ引当金が増え、信用コストは今後2年ぐらい増える。

 2021年3月期でコア業務純益が10億円を超えたのは10期ぶり。今後、そうしたリスクに対応して融資ができるような、「雨の日に取引先に傘を貸せるよう」にするためにも、いま体力を蓄えておきたい。

融資額で評価しない

―― 貸出金利回り(2・07%)と地銀100行で2番目に高い。かなりのリスクを取っている?

■1件で10億~20億円貸しているような大きな地銀とは、考え方が基本的に違う。貸し出しが何千万円の中小企業へ何度も足を運んで、殺し文句というわけではないけれど「社長に会いたかった」と雑談を通して悩みを聞けるくらいの関係を作らなければいけない。

 私が頭取に就任する前、顧客を失ったら人事考課に「バツ」が付く制度があった。業績評価は、融資額のウエイトが圧倒的に多かった。だから、行員は県内の有力企業はもちろんのこと、顧客を維持・確保しなければいけないので、そのため金利をかなり低くしていた。

 だから、融資額を評価から外した。そういう融資はお断りして、他でちゃんと稼ごうというやり方にした。無理な金利競争はしないし、顧客を失っても人事考課を「バツ」にはしない。

 実際に、大手行がいくつも融資しているような企業に対してはそんなに努力はしなくていいと言った。所詮負けるから。それより、政府系金融機関とか、信用金庫とかと一緒に融資しているところは、うちを頼っているから徹底的に面倒をみようという考え方だ。

 金額が小さくても金利が高くとれるところや、ミドルリスクかもしれないが、そういう顧客を獲得してくれれば結構いいということ。ただ、ハイリスクは喜んでとるものではないので、支店長のところで「OK」を出しても、本部が「NG」にするとか、自然とフィルターがかかるようにした。

「初めまして」に驚いた

―― 頭取就任時の状況は?

■就任したのが7年前。当初、取引先の社長を訪ねると「佐賀共栄ですか、初めまして」という感じだった。まずそれに驚いた。

 また例え話だが、行員に「部屋を掃除しておいてね」というと、「家具などを置いていないところだけを掃除機でサッとやっていた」というのがうちの銀行のイメージだった。そうではなくて「机、いすの下まできれいに掃除する」ということにした。つまり、何でも徹底すること。顧客のところに行けば、実権者に会おうとするのが当たり前。100人の顧客がいたら、100人のトップに直接話を聞けるようにした。

 そうしたステップを踏みながら、原則、貸出金利息が少しでも高くとれるようにやっていく。料理屋さんの例のようにサービスを良くして、お金もしっかりいただくということだ。

―― それで取引先が増えた。

■新たに取引先を年間500件増やす目標を立てた。当時3000件だったのが今は5000件を超えた。年間1000件増やしたとしても、完済・満期が来たり、倒産したりして減ってしまうで、純粋に500件増やすのはものすごく努力が必要になる。地元の信金さんから顧客をいただいたこともある。もちろん、腕力を使って奪うというのではなく、うちのサービスを「良し」としてお付き合いいただいた。

 徹底してコスト削減もした。頭取就任時、システム経費を除く物件費が13億円あったが今は4割減の8億円。もう一つは人件費。当時400人の行員がいたが、生産性が低いと思い、300人にした。もちろん、首を切ったのではなく、中途退職者が年30~40人いたので、採用を絞ったら3年間で達成できた。結果的に1人当たりの生産性、収益力が非常に上がった。支店数も35から20に減らした。

―― 行員を25%、店舗を4割減らした。

■今は他の地銀でもやっているが、当時は「佐賀共栄銀行がなくなるのでは」と心配された。実際、店舗に来る顧客は数は減っている。それよりも、こちらから顧客のところに行くようにすればいい。店の数が減っても、その分はカバーできる。

 こうした改革をしていく中で、個人の預金、事業者への融資がコンスタントに増えてきた。新しいことをやるよりも、普通に淡々と、当たり前のことをやってきた。

 「支店や行員数が多すぎる」とか言っていたから、私が銀行を潰すのではないかと、行員は不安に思っていた。支店が減ると、支店長になれないという不満もあっただろう。だが、生産性が上がれば給料も上がるので、支店長のポストは得られなくても、それなりの給料は支払って、それはかなり実現している。

 実はうちの行員の賃金は地銀の中で最低だった。だから生産性を上げるしかない。そのやり方としては行員、支店を増やして貸し出しを伸ばす方法もあったかもしれないが、私は佐賀県に特化しようと思ったので、支店も人も多すぎると思って減らした。

 当時は頭取、副頭取、専務、常務、取締役3人の計7人だったが、今は私と常務、取締役2人で常勤は計4人。なぜ減らしたのかというと、一番小さな地銀でそんな数がいるかということだ。役員を減らすと、幹部行員にとっては自分の目標を失ったような思いがあったかもしれないが、その下の管理職からすると「頭でっかちの組織」となっていた。

―― 行員の賃金はどれくらい増えた?

■九州の第二地銀でも真ん中くらいに上がった。ボーナスも一時、コロナ禍を心配して下げた時期があるが、それ以外は0・1カ月分ずつ、夏と冬で上がって行くように組合にも宣言した。就任時の15年3月期の行員の平均給与は424万円。20年3月期は513万円となり、5年間で2割増えた。ただ、21年3月期はコロナ禍が業績に影響を与えるとの観測から20年夏の賞与を減額して485万円だった。

四半期報告も廃止

―― 株式上場していないが?

■株主は大事だと思うし、日ごろから回っている。非上場だと、外国人株主が増えて配当を増やせとかいう圧力がないのは楽だ。コスト削減に資することでやったのは、上場企業は四半期報告を義務づけられ、我々もそうしていたが、22年3月期から第一、第三の四半期報告をしないことにした。地銀ではうちだけだろう。コストを一定程度減らせば、日本銀行が特別付利(事実上の補助金)を出すので、思いついたのがこれだ。

クーデター騒ぎも

―― それにしても当時はかなりの反発があったでしょう。

■当時の役員との間で、議論でかなりぶつかっていた。その原因はスピード感の違い。「徐々に、少しずつ」とか言ってなかなか進まず、結果を出すまでにさらに時間がかかってしまう。私は「3年以内になんとかしよう」とした。それに対して私以外の役員は「なぜ急ぐのか、今までこれでやってこれた」という考えだった。

 就任から2年後、このままなら今後2年で経費率は100%を超えて、本業のもうけを示すコア業務純益が赤字に転落する。さらに2年後には4億円を超える赤字になると分かった。「こんな時に、そんな悠長なことを言っていられるのか」という食い違いがあった。一時は取締役会で私を解任しようと、“クーデター”を模索する動きもあったようだ。今でこそOBに聞くと「おまえは銀行を潰しに来た、と思い込んでいた」という話を聞く。コミュニケーションがまだ足りなかったなと、少し反省もある。

―― 行内の雰囲気も変わった?

■これまで、ミスをすると大きなペナルティーがあったので、やりたいことに挑戦しなくなっていた。組織の風通をよくしなくてはいけなかった。改善提案をみんなから募るようにした。かつて同じようなことしたことがあったようだが、提案を受けても幹部が反応しなかった。だから、今回は提案が何件あり、返事をいつまでにしますと対応した。経費削減提案もあって4000万円のコストダウンにつながった。

―― 今後の方針は?

■持続可能性が一番大事だろう。それはコア業純益であり、本業利益であり、経費率が安定した水準を保てていれば持続可能性がある。(同じ佐賀県に拠点を持つ)佐賀銀行と違う仕事の仕方をして、利益をそれなりに確保できるなら、このまま突き進むしかない。

 経営統合することがいいのかというと、うちの行員にとってはアンハッピーだ。支店がなくなり、支店長ポストがなくなり、リストラがあるかもしれないし、顧客にとっては担当者が変わって……ということは、地域に混乱をもたらす。収益の持続性があればそれを維持していくのが正しい道だと思う。(単独路線が)顧客や行員にとってもメリットがあると思う。

 もちろん、頭の中で、どこかとくっついて資本を援助してもらうとか、証券大手と提携するとか、公的資金を借りるとか、いろんなメニューをいつも考える。するか、しないかは、収益が維持できるかできないかにかかっている。大きな不良債権がでてしまって、資本不足になれば話は別だが、今の前提ならやっていけると思う。

―― 課題はまだある?

■今後、3年間で行員を30人減らす。しかも支店ではなく本部で減らす。本部の人間を減らすことは本部の機構改革をしなくてはいけない、課題がステップアップしてくる。

 融資をする営業統括と、融資審査部を一緒にする。両者はアクセルとブレーキの関係だが、なぜできるかというと、実は現場の支店長も同じことをしている。支店長の権限でできる融資でもアクセルもあれば、ブレーキもある。本部も同じ。融資しようと言いながら不良債権を出すなという。結局、同じことをしているならできるはずだ。

 その代わり、会議記録をきちんと残す。これまのでように部署を分ければいいのではなく、いかにガバナンス(企業統治)をきちんとさせるか、それを私自らが意識してやっていくことが大事だ。

―― 頭取が大蔵省(現財務省)出身だからできた。

■いま第二地銀で大蔵省出身の頭取はもう私だけだろう。トップについては二つの見方があると思う。行内外をよく知っているから下から育てるか、思い切ったことをやるには外から来た経験豊富な者がやりやすいという考えもある。

 自己分析してみると、自分はもともと民間的な考えをもって「うちの銀行を失敗させてはいけない」とすごく感じた。しがらみがないからできた部分もある。このままではうちの銀行がなくなると思ったので“ちゃぶ台返し”となった。このやり方で行員が理解し、ついてきてくれた結果、いまは上手くいっている。

 松下幸之助さんなど先人の書籍に「成功するまでやれ」「変化するものが生き延びる」などとある。やるべきことは決まっているのに7掛けで終わったら、そこでとどまってしまう。限りなく100までやろうよ、と常に自分に問いかけている。

―― 総資産でいうと全国1位の隣県の福岡銀行の70分の1だ。全国で最小の地銀経営で大事なことは?

■顧客に喜ばれると思うことを見つけ出して、愚直に実行していくこと。料理屋さんのように「旬のおいしいものがありますよ」と、そんなことが言える地銀。それが大手地銀にはできないことではないかと。顧客との関係は大手より近くなければいけない。顧客に寄り添うとよくいうが、それを有言実行していくことだ。

 リーダーシップも大事だが、気持ちの上でみんなと仲良くすることがすごく大事。いいリーダーシップは振り向くと行員がいるが、ワンマンだったら振り向くと誰もいない。それは心掛けるようにしている。「外から来た頭取の言うことを、なぜ聞かなきゃいけないのか」と思われたら終わり。言う通りやってみたら、利益が出て給料も増えたという、わずかでも満足感の積み重ねが大切だ。

   *   *   *  

二宮洋二(にのみや・ようじ)

一橋大学経済学部卒業後、1975年 に大蔵省(現財務省)入省。近畿財務局理財部長、銀行局銀行課企画官、銀行局特別金融課長、北海道財務局長、大臣官房参事官、神戸税関長、国土交通省大臣官房審議官などを経て、2014年6月から佐賀共栄銀行頭取。東京都出身。70歳。

佐賀共栄銀行

1949年に「佐賀無尽」として設立。51年に相互銀行法施行に伴い「佐賀相互銀行」。89年に普通銀行に転換し現在の「佐賀共栄銀行」。資本金は26億7900万円。総資産2783億3700万円、預金2463億4000万円、貸出金1961億2600万円(いずれも21年3月期)。

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