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小説 高橋是清 第159話 震災手形=板谷敏彦

(前号まで)

 是清に続く加藤友三郎内閣は加藤病死により終焉(しゅうえん)、山本権兵衛に2度目の組閣の大命が降りた。是清は入閣要請を謝絶する。組閣が進む中関東大震災が発生する。

 9月2日、関東大震災発生翌日未明、本館燃えるとの急報に日銀理事深井英五は近くにある井上準之助総裁の自宅を訪ねた。

「本館が燃えるとやっかいだ。守るべき証券、紙幣や帳票もあるので、私は陸軍に行って工兵の応援を頼んでくる。深井君は本店に行ってくれ」

 井上は車で陸軍省に急いだ。

 深井も車で日銀へ向かうと、途中皇居前芝生に避難者の群れがあり、呉服橋に近づくと本館のドーム部分から出る煙が見えた。呉服橋橋詰めには数組の家族らしい一群の死体が折り重なり、日銀正門の脇にも死体があった。

 どうやら昨日から燃えていた三越や三井の火の粉が本館のドーム部分に延焼したようだった。ところがお堀の水をポンプで放水する消防車は1台しかおらず、頼りない。ドーム下には重要なものはないが、他の部分に延焼してはたまらない。

 深井はお供を2人連れて帝国劇場横の消防仮屯所まで車で向かった。援軍を頼みに行ったのだ。お供を連れたのは相手になめられないためだ。

「日銀はもうだめじゃありませんか?」

 一晩奮闘した消防士たちは疲れ切っており、相手にしてくれない。一般の人にとって日銀の重要性は建物の外見だけではわからない。深井は熱弁を振るった。

「今なら消火ができます。そうすれば明日から開業できます。もし日本銀行が閉まれば日本のお金がまわりません。金がないと官民ともに災害の手当ての支払いにも困ることになります。是非ここは奮発願いたい」

 堅物そうな深井が必死に訴えるものだから、消防の頭も感服した。

「わかりました。後からすぐに参ります」

 それでも深井は引かない、

「後からでは駄目です」

 結局、深井たちが同乗し、3台のポンプ車が日銀に応援に駆けつけて放水した。

 消防の頭に重要箇所を説明するために、井上と

深井は、消火の水にぬれながらも、いまだ火がくすぶる本館に自ら入り、細かく指示していった。

 消防士たちは疲労困憊(こんぱい)していた。深井が聞くと、皆昨晩から働き詰めで何も食べていないという。そこで井上と深井は自宅に連絡してありったけの米を炊かせて握り飯にして、沢庵と梅干しを付けて消防士たちにふるまった。

「もう大丈夫でございます」

 午後2時ごろ頭が言った。本館は無事消火したのである。

電光石火のモラトリアム

 井上が警視庁へのお礼と大蔵省への報告に伺おうと公用車で出かけると、宮城前広場ですれ違った車がクラクションを鳴らしながら急停車して呼び止めた。

「おーい、井上君じゃないか?」

 後藤新平である。大災害なのに何故か満面の笑顔である。

「私はね、君に大蔵大臣就任を頼もうと日銀へ向かうところだ。この大災害だ。組閣は一刻の猶予もないのだ」

 かくして井上は後藤の車に同乗して、組閣本部となっていた後藤邸に向かった。この頃築地の水交社も大手町にあった大蔵省も燃え落ちていた。

 井上は車の中で大蔵大臣就任を受けたらしい。

 井上はそのまま夜の赤坂離宮での新閣僚の認証式に出るという。副総裁は休暇中、他の理事も出張中である。連絡を受けた深井は日銀を一人で切り盛りせねばならなかった。

 深井は事務方を集めて意見をひととおり聞くと、兌換(だかん)券等が無事であったことから明日9月3日月曜日の定刻開店を決めて帰途についた。

 帰り道、丸の内の明治屋食料品店に暴徒が迫り警官隊と小競り合いをしていた。この日、前内閣によって戒厳令が敷かれた。また抜刀自警団が徘徊(はいかい)し朝鮮人襲来のうわさが流れていたが、深井はその真偽を疑い家にとどまった。

 夜、井上が認証式の燕尾服(えんびふく)のままやってきた。新閣僚は身辺危険につき泊めてくれというのだ。井上は平服に着替えると、近くの第一連隊に避難している奥方を迎えに出かけていった。

 深井家にはもう米はなかったが、井上は閣僚向けの特別配給とかで米、味噌などを持ってきたので分けてもらった。水道は止まっていたが、深井の家には井戸があった。

「深井君、…

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