小説 高橋是清 第158話 関東大震災=板谷敏彦
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是清は与党内の混乱を収めることができず、海軍大将の加藤友三郎に組閣の大命が降りた。加藤はシベリア撤兵はじめ軍縮を進めるが首相在任中に病死する。
大正12(1923)年8月28日、加藤友三郎首相の海軍葬の日である。
約10年前にジーメンス事件によって首相を辞任、海軍大将から予備役に編入され退役していた山本権兵衛に2度目の組閣の大命が降りた。
日本海軍の建設者であり、宴会なし、酒タバコに蓄財蓄妾(ちくしょう)(妾(めかけ)を持つこと)もやらない高潔な人格、山県有朋も一目おいたという国家に対する貢献、元老西園寺公望はここは大物に登場してもらい、挙国一致内閣を作ってほしいと託した。山本権兵衛すでに70歳である。
大正12年8月28日
山本は翌8月29日に築地にあった水交社2階に組閣本部を設置すると、朝から立憲政友会(以下政友会)総裁高橋是清を招致した。山本は是清に挙国一致内閣を作りたいので第1次山本内閣でも大蔵大臣の任にあったように今回も入閣してくれと頼んだ。山本は自身が大物であると認識し、閣僚もまた大物を集めたかったのである。
是清はこれに即答せず、政友会に諮ってみると答えたがその後謝絶している。憲政会総裁加藤高明も招致されたが、こちらは即答で謝絶した。
後藤新平も呼ばれて、後藤はもったいぶった。対露外交、対支政策、東京都市計画方策(震災前である)、来年の選挙政策、思想問題などの5大意見を開陳して入閣の条件とした。
山本内閣はこの後藤新平を中心に始動することになる。後藤の家には同じく山本に呼ばれた犬養毅が詰めて組閣の諸策を練ったので、玄関先は新聞記者、政客、利権屋などで賑わったという。
月が明けて9月1日土曜日、半ドン(午前中だけ仕事)の朝。
横浜正金銀行本店支配人の大久保利賢44歳は是清の長女和喜子の夫であり大久保利通の八男でもある。
横浜本店に出勤すると兄の牧野伸顕から、できるだけ早く築地の水交社2階にいる山本権兵衛の組閣本部へ出向くようにと伝言があった。同じ薩摩閥である。
利賢が山本に面談すると、日本銀行総裁の井上準之助を山本内閣の大蔵大臣として誘いたいから、すぐに使者として日本銀行へ行って伝えるようにとのことだった。利賢と井上は親しい。井上は後藤新平の強い要望とも言われるが、是清の推薦もあったのかもしれない。
面談を終え利賢が1階に下りると、入れ替わりに平沼騏一郎が上がっていった。入閣交渉が行わるのだろう。
これがちょうどお昼の12時前、突然、水交社は激しく揺れた。しばらくして震動が収まった時に、2階から山本と平沼が階段を駆け下りてくると、建物から出て庭にある藤棚の下に避難した。関東大震災である。山本は余震の中で平沼に入閣を持ちかけた。
利賢は、水交社の混乱を横目にとりあえず徒歩で築地から常盤橋にある日本銀行本店へ向かった。途中そこかしこで火の手はあがるし余震は続いていた。
* * *
是清は赤坂表町の屋敷の応接間で客人2人を相手に談話している時に激震が走った。客人は庭へ飛び出したが、是清はまず観音像の木像一つを抱えると「旦那様、旦那様、お逃げください」と言う女中たちの声をよそに、余震が続く中、縁側に座りこんで念仏を唱えた。養祖母のおばば様が大事にしていた観音像であろう、おかげで屋敷に大きな被害はなかった。
葉山の別荘にいた家族は昼ごろ帰宅予定だったが、地震発生までにすでに東京駅に到着しており、少しすると自動車で無事に帰ってきた。これもおばば様の観音様のご利益か。
この日、日本銀行本店に出勤していた幹部は井上総裁と理事の深井英五の2人だけである。この日本銀行本店の建物はというと、ペルー銀山開発に失敗して落魄(らくはく)した是清が、日銀に入って最初にした仕事がこの建物の建築所事務主任だった。現在も使われている。
理事室で事務を執っていた深井は最初の大震動を受けた。椅子に着座したまま机にしがみついていると天井からぶら下がったシャンデリアが大きく動くのが見え、外では何かが崩れ落ちるような音がしていた。そこで机上の書類…
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週刊エコノミスト
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