週刊エコノミスト Onlineロングインタビュー情熱人

骨折からも復活した林家木久扇さんは、やっぱり「生きる名人」だった 林家木久扇さんインタビュー=大宮知信

    「僕はブームになる前からユーチューバーなんです」 撮影=蘆田剛
    「僕はブームになる前からユーチューバーなんです」 撮影=蘆田剛

     芸能生活60周年を迎え、演芸番組「笑点」には50年超も出演する最長老。骨折からも見事に復帰し、「稼ぐ」ことへの熱意は今なお衰えない。誰もを笑顔にし続ける元気の源とは。そして今後の目標は──。

    (聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)

    「志ん朝さんに『生きる名人』と言われたことが誇り」

    「長屋ごと八っつぁん、熊さんを宇宙に上げるアニメをやりたい。夢はいっぱいあるんですよ」

    ── 今年5月下旬に自宅玄関で転倒し、左足の骨を折ったというニュースがありました。今はどうですか?

    木久扇 ええ、普通に歩けます。痛みもありません。買い物してきてお茶が入った重いビニール袋を手に提げたまま、ドアの鍵を開けて入ろうとして転んじゃったんですが、まさか骨が折れてしまうとは思いませんでしたよ。左大腿骨(だいたいこつ)骨折で3カ月入院って言われたけれど、1カ月で退院しちゃった。(患部を)10センチぐらい切って金属(チタン)のプレートを入れる手術をしましてね。(情熱人)

    ── 一日でも早く復帰しようと、一生懸命リハビリに励んだそうですね。

    木久扇 次の日からリハビリを開始して、こうやって立てるし、寄席にも出られるようになった。今は週2回大学病院へリハビリに通っています。けれど、まだ正座ができないんですよ。(高座は)椅子に座ってやっているんですが、椅子だとお客さんを見下ろす形になっちゃって感じが悪いんです。だから、(寄席の)上の方にある柱時計のあたりを見ながらしゃべるようにしています。もう慣れました。ちゃんと笑いも取れています。

    ── それにしても、回復は早かったですね。

    木久扇 すごい回復力でしょう。3カ月の入院予定を1カ月で退院しちゃった。経済は病気を治す。

    ── え、どういうことですか。

    木久扇 入院した時、個室を取ったのよ。ところが、6人部屋は1泊8000円。個室は3万7000円。3カ月入院したら……すぐに計算できるでしょう。それ聞いたら真っ青になっちゃって。寄席のお客が(入場料)3000円で10人しか来ないのに、こりゃたまらん。体の骨と相談して早く治っちゃおうと思ってね。だから、経済は病気を治すと。

     それと、病院ではいつも生年月日と本名を聞かれて、本名で呼ばれるんです。「豊田洋さん」って。僕は林家木久扇という芸人としてここまで自分の世界を築いてきたのに、これでは普通の人にされてしまう。早く治さないとダメだ、と。もちろん手厚い看護と治療で早く治ったんですが、心の中では「今日も豊田さんと呼ばれた」「いっぺんも林家木久扇さんと呼ばれなかった」と思っていましたね。それがとっても嫌だった。

    ── 今年3月に明治座(東京)で「芸能生活60周年記念公演」を行った後の骨折でしたが、7月には博多座(福岡市)での60周年記念落語会で高座に復帰しました。

    木久扇 博多座ではよくお客さんに入っていただいて、復帰することができました。実は、1日2回公演ですごくきつかった。まだ足が痛かったんです。この時も椅子だったんだけど、それでも30分持つかな、と思っていました。けれど、笑福亭鶴瓶さんと桂文枝さんが手伝ってくれて、すごくいいお客さんだったので、僕も一生懸命やりました。

    東京大空襲の生き残り

    骨折から復帰した「博多座」で講演前の林家木久扇さん(今年7月) ©TOYOTA-ART
    骨折から復帰した「博多座」で講演前の林家木久扇さん(今年7月) ©TOYOTA-ART

    ── 1976年に腸閉塞(へいそく)症、2000年に胃がんと、大病を何度も経験しましたが、そのたびに不屈の精神でよみがえっています。

    木久扇 ほんとにね、運が良かったと思いますよ。(44年の)東京大空襲の時も生き残れた。大空襲の時、僕は小学1年生。どれだけの数のB─29が飛んできたと思います? 290機ですよ。それが一斉に焼夷(しょうい)弾を落とす。バッと油が広がって家が全焼するんです。家は焼けちゃったけど、父も母も健在で助かった。あの東京大空襲で助かったというのが、いつも大きな災難が降りかかった時に跳ね返す力になっています。

     僕、思っているんです、東京大空襲からコロナの時代まで、すごい時代を僕は生きてきたなと。腸閉塞で死にそうになったことがあるけれど、東京大空襲の悲劇に比べたら、といつも思うんです。生きていること、今やっていることが得だと思っている。今83歳ですからね。もうじき86歳で亡くなったうちの師匠(林家彦六)と歳が並ぶんですが、僕はもっと生きてやろうと思っている。

     東京は日本橋久松町生まれの江戸っ子。漫画が得意で、56年に都立中野工業高校を卒業後、漫画家の清水崑の弟子に。ある時、絵を描きながら映画俳優の声色で登場人物のセリフをつぶやいていると、清水が後ろで聞いていた。「お前、変わってるな。ちょっと落語をやってみるか」。清水が書いてくれた紹介の手紙を持って、三代目桂三木助に入門。60年、23歳の時だった。

    ── もともと落語家になるつもりはなかったんですね。

    木久扇 そもそも僕、三木助という人は知りませんでした。知っているのは、柳家金語楼さんと、だみ声で「相変わらずの落とし話でございます」という(三代目三遊亭)金馬師匠、「豚の夫婦」という有名な新作の(三代目)三遊亭歌笑さんの3人だけ。他の方と比べたら失礼ですが、落語と漫画の両方をやったらもうかると思って、軽いノリでね。

     でも、その三木助のところに行ったら、半年ぐらいでがんで亡くなっちゃった。それで、(八代目)林家正蔵(後の林家彦六)のところに引き取られたんです。落語より(正蔵)師匠のほうが面白いんですよ。いつも揺れているし、「お餅って何でカビが生えるんですか」と聞いたら、(正蔵の声色で)「バカヤロー。早く食わねえからだ」(笑)。そういう話がいっぱいある師匠なんですよ。

    「“にしづめ”が重くって」

    ── 69年には演芸番組「笑点」(日本テレビ系)の大喜利メンバーになります。

    木久扇 僕の言うことは面白いと世間に認められたわけですよね。絵が描けるから、落語がダメだったらいつでも辞められるという気持ちで始めたら、ここまで長続きしちゃった。「いやん、ばかん」なんて歌ったのをレコードにしたら10万枚売れちゃったり、何というか、いろんなことをやっていましてね。スペインのバルセロナでラーメン店を始めて失敗したりもしました。

    ── ただ、失敗をしても、あまりめげているようには見えません。

    木久扇 そうなんです。僕は変な話、落語家ですからね。その失敗を面白いから落語にしちゃおう。何回しゃべれば元が取れるかな、と考えて。それで、「ラーメンは人類を救う」という新作落語を作っちゃった。ラーメン業界からの講演依頼も多かったですね。講演や落語で損を回収するぞ、と。下町出身の軽さというか、いい意味であんまり重々しく受け止めない良さがあったと思います。

    ── 絵を描く仕事もあるそうですね。

    木久扇 落語協会のカレンダーとか、NHKの東京落語会のプログラムとか、年金雑誌の表紙とか、いろんなものを描いています。評判いいんですよ。絵も描けるというのが、僕のすごい得になっている。コロナ禍の時代でも仕事が絶えませんから。こんな落語家は珍しいですよね。今、木久扇一門の本も書いています。弟子の似顔絵を全部僕が描いてね。

     一門の記念になるし、落語家の弟子がコロナの時代に苦労しながらどういう生き方をしているのかが本になれば、読む方も面白いと思うんですよ。近くの八百屋さんでアルバイトをしている(孫弟子の)林家やま彦が、「八百屋のバイトは大変ですよ。“にしづめ”が重くって」というから、「“にしづめ”って何だ」と聞いたら、スイカのことだった。漢字で書くと「西瓜」でしょう。そりゃ、運ぶのは大変だよね。

    ── コロナの感染拡大でエンタメ業界は大きな打撃を受けています。落語はどうですか。

    木久扇 大変ですよ。お客さんが来ない。先日の僕がトリを務めた浅草演芸ホール(東京)の公演でも、お客さんが30人。出演者は23人いるんですよ。あがりは席亭と出演者が半々なので、交通費などを考えたらもう、落語の練習をやりにいくようなものです。でもね、やり続けないとこの商売がなくなっちゃうので、使命感で一生懸命出ているんです。

    落語界に絵で恩返しを

    新宿末広亭での真打昇進興行で(1974年) ©TOYOTA-ART
    新宿末広亭での真打昇進興行で(1974年) ©TOYOTA-ART

     昨年5月には木久扇流の生き方を指南した『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば』(文春新書)を出したのに続き、同9月には往年のチャンバラ映画の魅力を自身のイラストとともに紹介する『木久扇のチャンバラ大好き人生』(ワイズ出版)も刊行した。「今度は『バカのなり方』という仮題の本を出すんです。バカのふりをすると、世間が油断してお金が入ってくるようになるよ、というのが柱です」。

    ── これからどんなことに取り組んでいきたいですか。

    木久扇 落語界に恩返しをしたいと思っていて、たまたま絵が描けるので、長屋ごと八っつぁん、熊さんを宇宙に上げちゃう「落語スターウォーズ」というのをアニメでやりたい。ラーメンの屋台をロケットで宇宙に飛ばして、異星人と騒動を繰り広げるとかね。今の子は鴨居(かもい)も火鉢も分からないので、(落語を聞いても)絵が全然浮かばない。だから、それを絵に描いてあげてね。受けるんじゃないかと思うんですが……。

    ── 落語の魅力を若者にも伝えたいということですか。

    木久扇 そうです。だって、僕たちの時代は、落語を聞いて面白かったよ、とごひいきがうなぎをごちそうしてくれたりしたのに、今は僕たちがお客さんにごちそうする時代になっちゃった。だから、落語ファンを増やさないといけない。アニメのキャラクターに1人ずつ人気が出てきたら、スターウォーズ方式でそれを全部商品化して、キャラクターグッズを売っちゃおうと思っている。夢はいっぱいあるんですよ。

     僕ね、亡くなった(古今亭)志ん朝さんに「木久ちゃんは生きる名人だね」と言われたことがある。僕はそれをとっても誇りにしていましてね。稼ぐことが好きなんですが、要するに生きることが大好きなんです。


     ●プロフィール●

    林家木久扇(はやしや・きくおう)

     本名・豊田洋(とよた・ひろし)。1937年10月、東京・日本橋生まれ。56年、都立中野工業高校卒業後、漫画家・清水崑の下で漫画家の道を歩み始める。清水の紹介で60年三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵となる。69年演芸番組「笑点」(日本テレビ系)の大喜利メンバーに。2007年、自身の名前を息子の林家きくおに譲り、林家木久扇、二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行う。

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