200年の歴史を誇る新潟県の銅食器メーカーが大切にする経営の美学とは=加藤敬太
有料記事
200年の歴史と経営改革の両立=加藤敬太
全国各地に、その土地土地の風土に根付いた伝統工芸がたくさん存在している。日本のものづくりの原点であり、また、日本人が大切にしてきた文化でもある。
新潟県の燕三条地区は金属産業の集積でとても有名だが、その中に創業から200年以上の歴史を有する鎚起(ついき)銅器という伝統工芸を今に伝え続ける「玉川堂」(新潟県燕市)という老舗がある。
鎚起銅器とは、1枚の銅板を職人の手によってたたいて形づくり銅器に仕上げていくものである。銅はたたくと伸びるのではなく縮む性質がある。玉川堂の鎚起銅器は、銅板を打ち絞りながら縮めて成形していく伝統技術に基づくものである。製作工程の最後には、硫化カリウムなどの天然の液に浸すことで銅の表面を酸化させて鮮やかな色合いに仕上げていく。
玉川堂の商品はさまざまで、茶器、湯沸かし、酒器、コーヒーポットやドリッパー、そして、フラワーボウルや名刺入れなどである。近年、女性職人の入社によって、商品構成にバリエーションが出てきたといわれている。
玉川堂は1816(文化13)年、安定的に銅が産出される弥彦山のふもと、燕の地で創業した。もともと1768(明和5)年、仙台からの渡り職人・藤七が、銅板を金づちで打ち縮めて形をつくる製法を燕で伝え、玉川堂の初代・玉川覚兵衛が受け継いだと言われている。この地で、やかんや銅釜など庶民のための生活道具をつくることでなりわいを興していった。
現在の当主は、7代玉川基行氏である。基行氏の代となって、玉川堂は目覚ましい転換を遂げていく。
筆者は、2020年から、この玉川堂のフィールドワークを開始した。現在、玉川堂には19人の職人がいて、うち7人が女性、平均年齢は35歳である。とても若い職人の集団であるとの印象を受けるが、昨年、2人の大ベテランが定年で玉川堂を引退された。
フィールドワークでは、基行氏へのインタビューをはじめ、工場見学、東京・銀座店での職人の実演の視察、燕本店での鎚起体験、そして職人の方々、営業の方々、銀座店の方々、計17人にインタビューを行った。フィールドワーク全体を通じた印象は、今の玉川堂には新しさと伝統が併存していること、むしろ伝統を世に発信するために意識的に新しいことを出し続けているように見えた。
東京に直営店
基行氏は、大学3年のときに先代から玉川堂を継ぐように言われ入社…
残り1741文字(全文2741文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める