茂木幹事長の大勝負 自民の派閥再編が始まった=伊藤智永
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茂木敏充自民党幹事長(66)が勝負に出た。第2次岸田文雄内閣が発足した翌11月11日、空席だった竹下派会長になると宣言したのだ。巨大与党のカネ・人事・選挙を握ったのを機に、「ポスト岸田」をにらんだ陣営固めにも着手することを意味する。同派の参院議員たちになお強い影響力を持つ青木幹雄元官房長官(87)は断固反対しているが、幹事長の威光で派内の異論は黙認を余儀なくされそうだ。
この日、各派閥はそろって会合を開き、衆院選後の体制再編が行われた。竹下派は竹下亘前会長が、総裁選告示の9月17日に死去。会長代行の茂木氏が「平成研究会(竹下派)として21年ぶりの幹事長になりました」とあいさつすると、長い拍手が起きた。森喜朗政権の野中広務元幹事長以来という意味だが、同時に自前の政権からも、現職で病に倒れた小渕恵三元首相以来、すでに21年遠ざかっているという含意も込められていた。
淡々と進んだ会合の終わり際、茂木氏に近い中堅・若手の衆院議員たちが「会長はどうするのか。早く決めた方がいい」「幹事長にもなったことだし、茂木代行しかいない」「この際、会長予定者でいいのではないか」などと矢継ぎ早に発言。拍手を促し、半ば強引に「茂木会長内定」を押し切った。
「クーデター」の声も
辛うじて参院側の実力者である石井準一幹事長代理が「手順を踏むべきだ。衆参両方の派閥役員を決めてから、幹部の話し合いで決めた方がいい」と正式決定に待ったをかけたが、衆院側は「だったら会長予定者に役員も決めてもらおう」と押し戻した。
出席者によると、小渕優子党組織運動本部長や橋本岳衆院厚生労働委員長ら元首相の息子・娘たち有力中堅議員は、事の成り行きに緊張した面持ちで拍手をせず見守ったという。
竹下登・金丸信らが田中角栄に反旗を翻し、新派閥「経世会」を結成したのが1987年。竹下、橋本龍太郎、小渕の3首相を輩出して「経世会支配」と呼ばれ、平成前半まで権勢を振るったが2000年、小渕の後を追うように竹下も亡くなると、長い低迷期に陥った。小泉純一郎首相の改革に抵抗した野中が政界引退に追い込まれた後、陰の実力者として派閥に君臨したのが青木氏である。竹下の元秘書で「創業者ファミリー」の本家意識が強く、参院議員を束ねた数の力で派閥運営を実質的に采配してきた。
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週刊エコノミスト
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