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週刊エコノミスト Online 集中連載 今考える「新自由主義」

今考える「新自由主義」 第1回 米初期資本主義の‟超”格差社会と、ニューディール政策が生んだ「最も平等な社会」=中岡望

2022年1月17日、岸田文雄首相は国会で施政方針演説を行った。その中で「経済再生の要は『新しい資本主義』の実現である」と語っている。具体的な問題として指摘したのは、次の通りだ。

 ①市場に依存し過ぎたことで、公平な分配が行われず生じた格差や貧困の拡大

 ②市場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる長期的投資の不足、そして持続的可能性の喪失

 ③行き過ぎた集中によって生じた都市と地方の格差

 ④自然に負荷をかけ過ぎたことによって深刻化した気候変動問題。分厚い中間層の衰退がもたらした健全な民主主義の危機

岸田首相が掲げた目標の中身は綺麗だが…

 これに対し、政策目標として、「さまざまな弊害を是正する仕組みを『成長戦略』と『分配戦略』の両面から資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化する」ことを掲げた。

 また、「成長と分配の好循環による持続可能な経済を実現するのが『分配戦略』であり、その第一は所得の向上につながる『賃上げ』である」「成長の果実を従業員に分配し、未来への投資である賃上げが原動力となって、さらなる成長につなげる好循環を作り出す」と、基本的な考え方を語った。

 さらに「最低賃金を全国加重平均で1000円以上になるように最低賃金の見直しに取り組む」と具体的な目標を掲げた。

 空洞化する中間層対策として、子育て・若者世代の世帯所得の引き上げのために「全世代型社会保障構築会議において、男女が希望通り働ける社会づくりや、若者世代の負担増の抑制、勤労者皆保険など、社会保障制度を支える人を増やし、能力に応じて皆が支え合う持続的な社会保障制度の構築に向けて議論を行う」と政策目標を語った。

 賃金格差是正については、「企業の開示ルールを見直す」「今春、新しい資本主義のグランドデザインと実行計画を取りまとめる」とした。

 首相の施政方針演説を受け、内閣では「新しい資本主義構想」を巡って議論が行われ、実行計画が策定されることになる。

岸田首相が言う「新しい資本主義」とは何か
岸田首相が言う「新しい資本主義」とは何か

表層的な見直しではいけない

 ただ、岸田首相や彼のブレーンたちが、どのような理解の下で「新しい資本主義」を主張しているのか分からないが、歴史的事実と経済的論理に基づかない主張は「アベノミクス」と同様に、実態のない空論的経済政策に終わる可能性がある。

 首相が指摘した「ネオリベラリズム(新自由主義)」がもたらしたさまざまな弊害に関して異論を唱える人は少ないのではないだろうか。

 だが、国会で行われた議論は極めて表層的な内容であった。今後、具体的な議論が行われるのだろうが、「新しい資本主義」を構想するためにはネオリベラリズムを思想的、歴史的、経済学的、政治的に検証することが不可欠である。

 そうした“知的作業”を十分に行わず、表層的な制度的見直しを行うことで「新しい資本主義」構想を描こうとしても、それは内実のない議論に終わるのは目に見えている。ネオリベラリズムの“根”は極めて深い。

 今まで岸田首相の「新しい資本主義」の議論からは、ネオリベラリズムに基づく資本主義が形成された過程に対する洞察を感じることはできない。単なる政治的スローガンに終わらせないためには、ネオリベラリズムが誕生してきた背景を理解する必要がある。

小泉改革による日本へのネオリベラリズム導入

 1970年代末にネオリベラリズム政策を最初に打ち出したのは英国のサッチャー首相であった。80年代には米国のレーガン大統領が「レーガノミクス」と呼ばれるネオリベラリズムを柱とした政策を打ち出した。

「自由競争」「規制緩和」「福祉政策の削減」「財政均衡」「自己責任」などを柱とするレーガノミクスは、米国の経済と社会を大きく変え、その政策は「レーガン革命」と呼ばれた。

 そして、90年代になるとネオリベラリズムの弊害が現れ始めた。その最大の問題は、岸田首相が指摘しているように、「貧富の格差」の拡大である。

 ネオリベラリズム政策が日本に導入されたのは「小泉改革」であった。バブル崩壊後、日本経済は長期低迷に直面し、不況脱出に苦慮していた。また終身雇用をベースとする「日本的経営」の限界が語られていた。そんな中で小泉純一論首相は、不況打開の切り札としてネオリベラリズムの政策を導入する。

「規制改革」と「競争促進」で経済を活性化して不況脱出を図ろうとした。小泉改革は「20年遅れのレーガン革命」であった。米国におけるネオリベラリズムの導入には長い歴史と経済学、政治力学の変化が深く関わっていた。

 だが、日本ではネオリベラリズムの持つ思想的な意味が十分に検討されることなく、また、既に社会問題となっていた貧富の格差の問題を顧みることなく、表層的な景気政策として導入され、社会に与える影響が真剣に議論されることはなかった。

 そして1900年代にネオリベラリズム政策を導入した米国で想像を絶するような貧富の格差が生じたように、日本でも貧富の格差が深刻な社会問題となって現れている。

サッチャー元英首相がネオリベラリズムを復活させた
サッチャー元英首相がネオリベラリズムを復活させた

歴史的観点から見た「ネオリベラリズム」とは何か

 ネオリベラリズムの弊害を克服するには、その本質を理解する必要がある。米国における資本主義原理の発展を踏まえながら、ネオリベラリズムの本質を明らかにする。

 ネオリベラリズム「ネオ(新)」は何を意味するのだろうか。米国の資本主義の変遷は三つの言葉で表現される。「古典的リベラリズム(Classical Liberalism)」、「ニューディール・リベラリズム(New Deal Liberalism)」、そして「ネオリベラリズム(Neoliberalism)」である。

「古典的リベラリズム」は、経済学で言えば、古典派経済学の世界、アダム・スミスの世界での資本主義の原理である。市場における自由競争が最適な資源配分を実現するとする考え方である。

 そうした自由競争と価格メカニズムの機能は「見えざる神の手」という言葉で表現される。米国の古典的リベラリズムには、「政府の市場への介入忌避」や「自由放任主義」に「小さな政府」を主張する政治論が加わる。

 結論を先に言えば、ネオリベラリズムは古典的リベラリズムが新しい状況の中で姿を変え復活したものである。余談であるが、アダム・スミスの『国富論』の出版とトーマス・ジェファーソンの『独立宣言』は同じ1776年に出された。スミスとジェファーソンはお互いに面識があり、二人の考えた国家論は似ていたのかもしれない。

悪辣な手段を用いて富を蓄積した「泥棒貴族」

 古典的リベラリズムが米国社会を席捲するのは、南北戦争前後に始まる産業革命の時代である。米国経済は1860年から1900年の間に6倍に成長し、世界最大の工業国となった。この高度成長の時代は「ギルディド・エイジ(Gilded Age)」と呼ばれる、米国の初期資本主義の輝ける時代であった。

 素晴らしい技術革新もあったが、企業家は悪辣な手段を用いて富を蓄積していった。その強欲ぶりに、彼らは「泥棒貴族」と呼ばれた。膨大な富の格差を生み出した。1890年の時点で、所得上位1%の富裕層が全資産の51%、上位12%の富裕層が全資産の86%を保有していた。

 米連邦準備制度理事会(FRB)の調査によると、現在の米国は「第2のギルディド・エイジ」と呼ばれているように、19世紀と同じ現象が繰り返されている。上位1%の最富裕層が34%、上位10%の富裕層が88%の資産を保有している。所得下位50%の家計が保有する資産はわずか1.9%に過ぎない。歴史は繰り返されるのである。

レーガン元米大統領の改革「レーガノミクス」が格差の種を撒いた
レーガン元米大統領の改革「レーガノミクス」が格差の種を撒いた

古今のポピュリズムに共通の「反エリート主義」

 初期資本主義の時代の特徴は、市場における自由競争に留まらず、社会的にも「社会的ダーウィン主義」が主張されたことだ。企業のみならず、個人にも生存競争や自然淘汰、優勝劣敗、適者生存といった考えが適用された。

 さらにリバタリアン(市場至上主義者)は「格差こそが進歩の原動力になる」と、貧富の格差の正当性を主張した。労働者は劣悪な労働環境のもとで長時間労働を強いられた。女性や子供の労働も例外ではなかった。労働改善を求めて行うストは、暴力的に排除された。労働組合は非合法であった。

 当然のことながら、過酷な労働環境の改善や賃上げを求める労働者の運動が始まった。英国では「フェビアン協会」が設立され、漸進的な労働改善運動が行われ、それがやがて社会民主主義へと発展していった。

 資本主義そのものを廃止するというマルクス主義も誕生した。米国でも労働組合結成の動きが出てくる。1892年に労働者や農民の利益を代弁する政党「人民党」が結成される。同党の党員や支持者は「ポピュリスト」と呼ばれた。現在のポピュリズムの原型である。

 19世紀後半の急激な格差拡大がポピュリズムを生み出したのと同じように、21世紀の格差拡大がポピュリズムを蘇生させ、トランプ主義を生み出した。19世紀のポピュリズムは「左派ポピュリズム」であったが、21世紀のポピュリズムは「右派ポピュリズム」であった。そこに共通するのは、反エリート主義である。

ルーズベルトとウィルソンによる格差是正

 人民党は8時間労働の実現、累進的所得税の導入、金本位制に加え、銀本位制導入によるインフレ政策の実施(農民の債務軽減が目的)、鉄道や通信事業の国有化、移民規制などを政策に掲げた。その主張は国民の支持を得て連邦議会に議員を送り込んだ。1892年の大統領選挙では4州で勝利を収めた。最終的に人民党は民主党に吸収され、南部を地盤とする民主党は労働者や農民を支持層に組み入れた。共和党が企業を支持基盤とし、民主党が労働者を支持基盤とする構造ができあがった。

 ポピュリズムに続いて、古典的リベラリズウの弊害を是正する目的で「進歩主義運動」が始まった。1890年から1920年は「進歩主義の時代」と呼ばれる。代表的な進歩主義の政治家はセオドーア・ルーズベルト大統領である。

 ルーズベルト大統領は独占企業を「トラスト」と呼び、批判的な政策を取った。「スクエア―・ディール」政策を掲げ、不平等の解消を図った。企業に対する規制強化、消費者保護、自然保全、国民皆保険制導入などを政策として掲げた。もう一人の代表的な進歩主義者ウードロー・ウィルソン大統領は、貧富の格差を是正するために初めて「累進的連邦所得税」を導入した。

 1913年に導入された所得税の最高税率は7%であった。さらに法人税も引き上げられた。1909年は1%であったが、1917年に6%にまで引き上げられた。

フランクリン・ルーズベルト元米大統領(右)は中間層の拡大に貢献した
フランクリン・ルーズベルト元米大統領(右)は中間層の拡大に貢献した

なぜ「ニューディール・リベラリズム」が登場したのか

 古典的リベラリズムに終止符を打ったのは、フランクリン・ルーズベルト大統領の「ニューディール政策」である。その政策は進歩主義の政策を踏襲し、さらに進めるものであった。

 ルーズベルト大統領の政策は「ニューディール・リベラリズム」と呼ばれ、古典派経済学の市場至上主義を排して、政府の市場介入と市場規制が実施された。ニューディール政策は、政府と国民の間の関係を根本的に変えた。

 古典的リベラリズムは市場機能に委ねれば市場は自ずと均衡し、市場における自由競争こそが最適な資源配分をもたらすと主張し、政府の市場への介入を否定した。だが大恐慌によって古典派リベラリズムへの信頼は根底から打ち砕かれた。「市場の失敗」を前に政府による市場規制の必要性が訴えられた。

 大恐慌を引き起こす要因となった金融市場に対して厳しい規制が導入された。「グラス・スティーガル法」によって証券業務と銀行業務の分離が行われた。さらに証券市場を規制するために「証券取引員会(SEC)」が設立され、企業に情報公開を義務付け、インサイダー取引を禁止する措置が取られた。

 ウィルソン政権の時に設立された「FRB(連邦準備制度理事会)」も財務省から独立し、権限が強化され、独立した金融政策を行えるようになった。所得税も大幅に引き上げられた。1932年に最高所得税率は25%から63%に引き上げられた。さらに1944年に94%にまで引き上げられた。

「忘れられた人々」のために

 疲弊した社会を再構築するためにルーズベルト大統領は「トップダウンではなく、ボトムアップで米国を再構築する」と主張し、「経済的ピラミッドの底辺に存在する“忘れられた人々のために政府の資源を総動員する」と誓った。

「忘れられた人々」とは労働者や農民を意味した。ルーズベルト大統領を支持するグループによる「ニューディール連合」が結成され、その中核となったのが労働組合や農民で、さらに少数民族やインテリ層も戦列に加わった。

 米国の保守派の評論家は、ニューディール政策は古典的リベラリズムに依拠する伝統的な米国の価値観を根底から覆す「無血革命」であったと指摘している。「ニューディール連合」は1970年代まで米国政治を支配する。

 ルーズベルト大統領が使った「忘れられた人々」という表現は、トランプ大統領によっても使われた。経済的格差が拡大し、社会が混乱すると必ずとポピュリズムが登場する。19世紀後半のギルディド・エイジに格差が拡大したときに誕生したのがポピュリストの人民党であり、進歩主義の登場である。トランプ大統領も社会的底辺に存在する白人労働者を「忘れられた人々」と呼び、強力な支持層へと変えていった。

保守派の政治家と企業による反ニューディール運動の展開

 ニューディール政策は大恐慌から脱出するために公共事業による景気浮揚政策であるというのが一般的理解である。だが最近の経済学界では、景気浮揚効果は限定的であったという評価に変わってきている。

 重要な政策は「労働政策」と「社会政策」であった。1933年の「全国産業復興法」と1935年の「全国労働関係法(ワーグナー法)」である。同法の成立によって、労働組合の団体交渉権や最低賃金制が導入され、最長労働時間、労働者の団体権、企業による不当解雇や差別が禁止された。

 さらに労働争議を調停する「全国労働関係局」が設置され、労働紛争の調停が行われるようになった。年金制度や失業保険制度も導入された。労働組合の団体交渉による賃上げに加え、移民規制で新規の労働流入が止まったことや、戦争経済への移行もあり、労働者の実質賃金は上昇した。米国社会は、古典的リベラリズムに完全に決別し、ニューディール・リベラリズムの世界へ入って行った。

 なお社会政策としては、1944年に行った一般教書の中でルーズベルト大統領は、国民は正当な報酬を得られる仕事を持つ権利、十分な食事や衣料、休暇を得る権利、農民が適正な農産物価格を受け取る権利、企業は公平な競争を行い、独占の妨害を受けない権利、家を持つ権利、適切な医療を受け、健康に暮らせる権利、病気や失業など経済的な危機から守られる権利、良い教育を受ける権利を持つと訴えた。

 これは「第2の権利章典」と呼ばれ、戦後、福祉国家論の基本となった。競争こそが進歩の原動力だと主張する古典的リベラリズムとはまったく異なった世界観である。

小泉氏の改革が日本に米資本主義を浸透させた
小泉氏の改革が日本に米資本主義を浸透させた

戦後米国における中産階級の登場と経済的繁栄

 当然、ニューディール政策に反対する動きが起こった。それは1934年に結成された「リバティ・リーグ(Liberty League)」と呼ばれる組織である。

 中心になったのは保守派の政治家と、デュポンやGMなどの大企業の経営者であった。彼らは19世紀的な市場競争を主張し、「政府は富裕層と特権階級を守るために存在する」と主張した。

 さらに、ニューディール政策によって財政赤字は拡大し、官僚組織が肥大化し、階級闘争が激化すると主張した。彼らは1936年の大統領選挙で候補者を擁立し、ルーズベルト大統領とニューディール政策を攻撃した。

 だが、結果はルーズベルト大統領の圧勝に終わり、ニューディール・リベラリズムが米国社会の指針となった。その後、企業家は長い沈黙を強いられることになった。

 ニューディール・リベラリズムは戦後の米国経済の繁栄のベースになる。労働者の実質賃金の上昇に加え、1944年の「復員兵援護法(GI法)」によって多くの若者が奨学金を得て大学に進学した。

 彼らはホワイトカラーの中核を形成するようになり、戦後の消費ブームを支えた。所得税率も45年から52年まで90%を越える水準で維持された。60年代半ばまで80%を下回ることはなかった。意欲的な所得再配分政策で、米国は“最も平等な社会”を実現した。

労働組合の交渉力の強化によって賃金が上昇

 ニューディール・リベラリズムの影響下で、企業にも変化が出てきた。戦後、GMの経営分析をした経営学者のピーター・ドラッガーは、労働費は「変動費」ではなく、「固定費」として扱うことを主張した。

 それは景気が悪くなったからと言って簡単に労働者を解雇すべきではないことを意味する。さらに労働者を「企業の重要な資産として訓練すること」を提言している。GMは他企業に先立って企業年金制度や医療制度を導入し、伝統的な労使関係が変化し始めた。GMの政策がやがて他の企業へと広がっていった。経営陣の態度の変化に加え、労働組合の交渉力の強化によって賃金が上昇していった。

 1970年代まで生産性向上と労働賃金上昇率は、ほぼ同じ水準にあった。すなわち生産性向上の果実の大半は労働賃金の引き上げに向けられていたのである。

 だが1970年代以降、生産性向上分は経営者の取り分が大きく増え、労働者の配分は低水準で推移するようになる。

中岡 望(ジャーナリスト)

(第2回に続く)

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