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安倍・菅両政権の官僚支配 「任免協議」という拒否権が招いた 幹部人事の「ブラックボックス」化=岡田彰・元拓殖大学大学院教授

安倍・菅両政権は霞が関の人事をブラックボックス化した
安倍・菅両政権は霞が関の人事をブラックボックス化した

 安倍・菅両政権で確立された官僚支配について、長年にわたり「霞が関」を研究してきた行政学の専門家は狡猾(こうかつ)だと指摘する。

 安倍晋三、菅義偉両政権は「任免協議」という曖昧な規定を駆使することで人事をブラックボックス化し、官僚支配を強めた。

 2012年から約9年間続いた安倍・菅両政権では、「忖度(そんたく)」行政の弊害がたびたび顕在化した。その源泉とも言える官邸による幹部人事支配について、ここで振り返ってみたい。

 官邸支配の仕組みを解剖すると、巧妙な法律の仕掛けと、対照的に「ブラックボックス」化されたシンプルな運用という構図が浮かび上がる。

萎縮で「指示待ち」に

 

まず、メディアが標的にしたのは内閣人事局だ。「安倍政権での内閣人事局の発足は各省を萎縮させた」と指摘されることも多かったが、実際には人事局が各省幹部の人事権を持っているわけではない。法的には各省の大臣が持ったままである。

 それでも、政と官のバランスが壊れ、官僚を忖度に走らせたのは、官邸が人事権を掌握したからである。意見を言う官僚が嫌われ、出世コースから排除される。官邸の意向に逆らえば「飛ばされる」と萎縮して、官僚は指示待ちになったことは否めない。

 内閣人事局の原案は、07年からの福田康夫政権下で立案された。しかし、その福田氏自身が後に、「『官僚はイエスマンでいい、政策決定は自分たちがやるからその通りにせよ』という文化にしてしまった」(『文芸春秋』18年1月号)と批判している。

 官僚出身で民主党参院議員も務めた松井孝治氏(現・慶應義塾大学教授)は人事局設置の与野党協議に関わった。その松井氏は「大臣が首相、官房長官と協議することを想定していた」(21年2月13日付『朝日新聞』)と弁明するが、実は官邸による幹部人事を主張していたのはそもそも民主党で、脱官僚と政治主導がその基調にあった。

 05年に作成された民主党のマニフェストの中には「政府幹部(各省庁の次官、局長など)は、民主党の方針に協力することを前提として任命し、協力を拒否する官僚は人事異動を行う」と明記されていた。10年の菅直人政権下でも、「幹部職員について実質的な降格人事を可能とするとともに、民間登用を進める」としていた。

 菅前首相は、政策の方向性に反対する官僚には「異動してもらう」と公言していたとされる。実際に菅前首相が官房長官だった15年に「ふるさと納税」をめぐって、課題を指摘した総務省の局長が更迭されたこともあった。

 この元局長は「最終的には従ったが、異を唱えたのが気に入らなかったのでしょう」(20年9月20日付『東京新聞』)と分析したうえで、「菅氏が内閣人事局をブラックボックス化した」と批判した。これが官邸の人事支配が批判されても、なお歯止めも抑制策の議論も進まない「政治主導」の実情である。

拒否したケースも

 では官邸が人事権を掌握するに至った法的根拠は何か。

 それは「任免協議」という、一見曖昧な国家公務員法の規定である。各省大臣は任免権を持つが、「あらかじめ内閣総理大臣及び内閣官房長官に協議したうえで、当該協議に基づいて行う」(第61条の4)という、狡猾(こうかつ)で「トリッキー(術策にたけた)」な規定である。

 単なる協議ではない。協議が整わなければ任免できないという、首相及び官房長官に事実上の拒否権を与えた。この「黄金の錫杖(しゃくじょう)」で、大臣の人事案を官邸が拒否したケースもある。

 ただし、国会審議の場では政府側は一貫して「拒否権ではない」と否定した。

 後藤田正純副内閣相(当時)は、衆院内閣委員会で「幹部人事の任免協議は、任命権者と内閣総理大臣及び内閣官房長官の合意を形成するプロセスで、内閣官房が拒否権のようなものを持っているというものではない」(13年11月29日)と説明。単なるプロセスであって権限ではないと強調している。

 任免協議が首相の権限となってしまうと、各省大臣の任命権を超えてしまう。国務大臣は同輩、首相は同輩中の首席だという合議制の内閣の建てつけを壊すことになるからである。内閣の意思は閣議で決するから、閣議の前段のプロセスであるとの説明をとらざるを得ない。

 しかも、手続きだから協議の責任を負うことはない。下位規範の法律が憲法の合議制の内閣を出し抜く。その意味で「任免協議」は巧妙、狡猾な超絶技巧なのである。

 稲田朋美行革担当相(当時)が強調した任免協議のメリットも、驚くにはあたらない。稲田氏は「硬直的な人事であったり、能力・実績主義ではないと判断したときには、その任免協議において、能力・実績主義であったり、同期ばかりを採用すること、また同じ省から同じポストというようなことがないように、内閣人事局で人事を、内閣総理大臣、官房長官が検証すること」(衆院内閣委13年11月27日)と説明した。

 また、稲田氏は「協議である以上、任命権者である大臣の意向を無視して人事案について成案を得るということはない」(参院内閣委14年4月8日)とし、大臣の人事案は「(各大臣と総理及び官房長官の)複数の視点によるチェックが行われ、当該協議に基づいて任免が行われるものであり、公平性が担保される仕組み」(衆院内閣委13年11月22日)であるとも強調していた。

「同期3人が次官」の矛盾

 

財務省では次官ポストに1979年の入省者が3人も続いた
財務省では次官ポストに1979年の入省者が3人も続いた

しかし、実際の人事は真逆であった。

 財務次官のポストに1979年の入省者が3人も続いたのだ。総務省でも76年入省の「同期3人次官」が誕生した。「同期3人が事務次官!総務省と財務省で起きた『超異例人事』の内幕」などと新聞各紙で報じられた。タテマエの説明とホンネの運用の甚だしいギャップである。

 国会審議が核心に触れると、曖昧な答弁に陥る。それが任免協議の責任や任命の判断基準だ。

 日本維新の会・山之内毅衆院議員(当時)は13年11月27日の衆院内閣委で「(任免協議は)総理や官房長官がお墨付きを与えるわけだ。しかし1年たったら、優秀じゃない、替えよとなった場合はどうするのか。任免協議で任命した総理、官房長官の責任は」と質問した。

 これに対し稲田氏は「その方が能力・実績主義の徹底という基本法や本法案の趣旨に照らして、思うように活躍ができていないという場合においては、さらに適切な人事配置を進めていくことによって対応する」と答弁し、議論はかみ合わない。

 また、日本共産党の山下芳生参院議員に参院内閣委で「任免協議での評価の客観的な判断基準はあるのか」(14年4月3日)と問われると、稲田氏は「任免協議では、個々の人事案について、それぞれの官職ごとに求められる専門的な知識や経験等の有無を考慮した適性に基づいて判断が行われることになる」と答えるにとどめた。

 さらに、民主党議員はマニフェストに即して、幹部の「降任」既定の明確化や政権がネガチェックできる趣旨を法案に盛り込むべきだと質している。

 なお、官邸に事実上の任免権を与えながら、責任は問われないという政権に好都合な「任免協議」は、公務員制度改革基本法審議の際に議員修正で挿入されたものである。

成績が良くても降任

 「任免協議」に感心しても、法の体系、秩序からすると建てつけは悪い。法の整合性や合理的解釈を軽視するのは政治主導の焦りか、特質か。

 典型的なのが、幹部職員の降任規定(第61条の4第4項)である。

 同項の目的は、任用後に不適格と認められる場合に、当該幹部を官職から外すことを首相、官房長官が求めることができる、とされている。ところが、公務員法は、成績主義、身分保障原則を定めている。降任は勤務成績不良、心身の故障などの分限理由(第78条)がある場合に限られる。ところが、公務員法に追加された第4項は勤務成績良好でも降任できることになる。分限処分の例外なのだろうか。

 内閣法もゆがんだ。任免協議は首相の権限だが、首相の発議権(内閣法第4条第2項)、中止権(内閣法第8条)と同列ではない。合議制の内閣の「閣議にかけて」の文言がないが故に、内閣法にはなじまない。とすれば特別法が必要になる。

 案の定、特別法案が国会に提出されている。行革担当相を務めた渡辺喜美氏らの幹部国家公務員法案である。廃案となったが立法技術的に至当である。内閣法も特別法も拒んだ、あるいは拒まれた結果、国家公務員法に任免協議を「押し込んだ」のではないか。国家公務員法を内閣人事局との共管とされた人事院にとっては、甚だ迷惑な「同居人」の誕生であった。

欠かせない透明性

 このように、任免協議は官邸の「黄金の錫杖」となった。もはや自らこれを手放す政権はあるまい。ならば、公務員制の原理である透明性、公平性、応答性からチェックする仕組みが欠かせない。

 20年10月、科学者の代表機関である日本学術会議の新会員候補6人を、菅前首相が任命拒否したことが発覚した。人事の秘密が乱発され、理由の説明、政府からの応答がない。人事のブラックボックス化が官僚に不安と畏怖を与え、そこに権力者は魅せられる。人事の秘密が任命権者をガードする構図だ。

 秘密を溶解させるのは人事の透明性である。人事情報の本人への開示と第三者の審査システムが欠かせない。人事のあり方は組織の健全性と不可分だからである。決断と責任はリーダーの本務であり、公開性はその恣意的裁量を牽制、抑制することでより信頼性を増す。

 ところで、人事を左右するのは上司の判断である。「逆らえない」上司の判断に客観性を求めるのが「公募」である。ちなみに、英国では公務員の管理職は公募である。英国財務省の担当者は、「応募しなければ昇進はない(異動がない)」と説明する。上司の贔屓ではなく、職員の自発性、能動性を旨としている。公募はホームページ(https://www.civilservicejobs.service.gov.uk)で、誰でも閲覧できる。職務、行政機関、俸給、契約タイプなどの項目がある。

 公募には客観的な公平な審査が欠かせない。不服申し立てにも耐えられるものでなければならない。ちなみに、日本でも公募は可能である。国家公務員法第35条(欠員補充の方法)は「官職に欠員を生じた場合においては、その任命権者は、法律又は人事院規則に別段の定めのある場合を除いては、採用、昇任、降任又は転任のいずれか一の方法により、職員を任命することができる。(以下略)」としている。ただし、もっぱら身内を優先した「内部からの昇任」という運用である。

「橋本行革」でも検討

 

「橋本行革」でも幹部人事の内閣関与が検討された
「橋本行革」でも幹部人事の内閣関与が検討された

公募の効用は日本の官僚制の根幹にふれる。年功序列やキャリア・ノンキャリアの壁を崩す端緒にもなる。官邸に翻弄(ほんろう)される官僚制にとっては相応の覚悟が必要である。

 なお、1996年からの橋本龍太郎政権による「橋本行革」でも、水野清首相補佐官を中心に「幹部職員の人事への内閣関与について」が検討された。閣議了解の強化や内閣の任命権に変更するなど、以下のような五つの案であった。

 ①現行の閣議了解人事の運用を実際上強化し、単なる了知ではなく、内閣として不適当な人事と判断された場合には、任命権者の大臣に再考を求める取り扱いとする。

 ②任命権は各省大臣に存置するが、発令前に閣議に諮り承認を得た上で、発令する(事実上、内閣に拒否権を与える)

 ③各省大臣の任命権から内閣の任命権に変更するが、内閣任命の前提として各省大臣の推薦に基づくこととする。

 ④各省の幹部級の人事については、戦前の勅任官(親任官を除く。次官、強化クラス)と同様内閣任命とする。

 ⑤各省の幹部級の人事について、合議体たる内閣ではなく、内閣総理大臣あるいは内閣官房長官の関与とする。

 注目すべきは第5案である。「内閣の国会への連帯責任及び内閣総理大臣の内閣法上の位置づけからみて困難。事実上の任命権の付与はやはり法制的な問題を生む恐れはある」と問題点が注記されていた。水野氏は逡巡し、ここに「ムズカシイ」と書き込んだ(詳しくは『時評』22年1月号参照)。

 政治主導、官邸支配の任免協議は、第5案の「関与」を「協議」に巧妙に差し替えた超絶技巧であったということになる。

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