小説 高橋是清 第183話 真っ直ぐな道=板谷敏彦
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(前号まで)
張作霖爆殺事件の処理で昭和天皇の信任を失った田中義一内閣が総辞職、協調外交を主張する立憲民政党初代総裁・浜口雄幸に組閣の大命が降下した。
昭和4年6月27日、立憲政友会田中義一は張作霖爆殺事件に関する報告で昭和天皇から叱責を受けた。
情報はすぐに伝わり、野党である立憲民政党(以下、民政党)浜口雄幸が自分に組閣の大命が下りそうだと認識したのはその翌日である。
元老西園寺は、この頃定着しつつあった衆議院第1党の内閣が政治的な理由で総辞職した場合、第2党の党首が組閣するとの方針に従うであろうと考えたのだ。
2大政党の一方の雄である民政党は人材が豊富である。もし浜口が組閣するのであれば誰がどのポストに就くのか、新聞記者たちにも大体の予測はついた。特に党として伝統的に緊縮財政を主張するだけに大蔵大臣を担当することができる財政通の人材は豊富だった。
英国遊学中に『エコノミスト』誌に刺激されて『東洋経済新報』を創刊し、この時すでに農林大臣として実績があった町田忠治、首相、大蔵大臣経験者の若槻礼次郎、元大蔵大臣の片岡直温などである。大蔵大臣経験者の浜口雄幸が兼務するという手もあった。しかし浜口は党外の人材を考えていた。それが井上準之助である。
井上準之助
井上の説得には「民政党の知恵袋」といわれた内務官僚出身の江木翼(たすく)、「選挙の神様」といわれた安達謙蔵が当たった。
浜口は井上の能力をよく知っている。それはよい。しかし一つ大きな問題があった。それは井上が浜口の基本方針である金解禁に同意するかどうかだった。
というのも、2カ月ほど前、某政府高官が金解禁の実行をにおわせて、兜町の株式市場が半恐慌の様相を呈するという事件があった。株式市場は緊縮財政を伴う金解禁には弱く、うわさが出るたびに下落するという有り様だったのだ。
そこで財界有力者の団体、日本経済連盟は財界相談役でもある井上準之助、郷誠之助、団琢磨の3氏に依頼して三土忠造大蔵大臣に政府の真意を聞いてもらったのだ。
これに対する三土の答えはこうだ。
「金の解禁は、できるだけ無理のない状態の下において、これを実行せんとするもので、これがため諸般の準備を考究している次第である。したがって昨今のごとき財界の状態の下においては、軽々にこれを実行することができぬ」
井上たちは財界の動揺を防ぐべくこれを公表した。そのため井上は金解禁に反対であると一般には印象づけられたのである。このために井上には後々変節漢の印象がつきまとうことになった。
井上は当時御殿場に古民家を買い別荘とした皆山荘にいた。安達は井上を熱海まで呼び出すと金解禁についてただした。他の民政党員にばれては大問題になるのですべては秘密理(り)である。
安達は井上から金解禁に同意であることを確認すると浜口に報告した。そして浜口が直接井上に会い大蔵大臣就任を依頼したのである。
浜口は井上に言った。
「この経済界を立て直すには死をもって当たらなくてはできないと考えている。いやしくも君にして一片の国家を憂うるの精神があるなら共に起(た)ってこの経済界の立て直しに当たって…
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週刊エコノミスト
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