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「捨てない経済」こそ新しい資本主義 “棄民”の時代とウクライナ 作家・五木寛之氏が語る

「断捨離」ではなく、モノを捨てないことを勧める作家の五木寛之氏。ガラクタも人の記憶を呼び覚ます財産だという。それは人を捨てない思想にもつながると説く。(聞き手=北條一浩、藤枝克治・編集部)

―― 五木さんは早稲田大学ロシア文学科出身で、デビュー作は『さらばモスクワ愚連隊』というソ連を舞台にした小説だった。まず現在のロシアとウクライナ情勢についてどう思うか。

五木 さまざまな媒体からコメントを求められたが、すべて断っている。簡単に話せるようなことではないからだ。ヨーロッパの古代史から始まって、カトリック、ギリシャ正教など宗教の視点も欠かせず、3日あっても話し足りない。やるとなったら自分で何十枚も書かねばならないが、今はまだそこまでの覚悟はない。一日も早く戦争が終結し、平和が訪れることを願うばかりだ。

 <そもそもウクライナとロシアの関係や、その違いを理解するための知識や歴史認識が日本ではほとんど共有されていないと五木氏は述べる>

五木 ウクライナの西部と東部は、第二次大戦中、敵と味方に分かれて戦った。東部のドネツク地方やドンバスはソ連軍の兵士になり、一方、西のほうはナチスドイツ軍に協力した。そして戦後はその人たちがレジスタンスとして山中に隠れて戦いを続けた。ウクライナのことを「ネオナチ」と呼ぶ人がいる背景にはこんな歴史がある。ではなぜ西部の人はドイツと組んでファシズムの軍隊になったのか。それは今回のロシアとの戦争とどう関連があるのか。とてもではないが簡単には語れない話だ。

スペイン内戦と重なる

 <ウクライナ侵攻について軽々しく話すことはできないが、とっさに想起したことがあるという>

五木 スペイン内戦(1936~39年)をすぐに連想した。あれはスペインの中の革新と保守の戦いのように見えて、実際はイタリアやドイツなどの枢軸国と、英米資本の代理戦争だった。そうした各国の思惑にさらされてスペインという国が消耗していく。今回のウクライナもそうならないようにしないといけないのに、今のままでは長期にわたるゲリラ戦など膠着状態が続きそうな様相だ。長期戦だけは絶対に避けないといけない。

―― 当時の五木さんはまだ幼少だ。何か覚えているか。

五木 覚えてはいないが、『改造』や『中央公論』など当時の総合雑誌を後に読んだ。熱狂的にグラビアを載せ、論文を掲載している。スペインの人民派義勇軍には、我も我もと世界中から志願者が集結した。ヘミングウェイはじめ著名作家も何人もスペインに行っている。メディアの連日の報道といい、志願兵といい、今のウクライナ情勢と非常によく似ているのではないか。歴史は繰り返す。まさにそうした状況だと思う。それなのに私が知る限り、スペイン内戦と今回のウクライナ侵攻を関連付けて書かれた記事は見たことがない。

―― ロシア軍によるウクライナでの残虐行為が次々と報じられている。

五木 ウクライナの悲惨な現実には誰しも心を痛めているし、むろん私も同じだ。しかし私の中には、アジア、アフリカの問題には無関心なのに、西欧白人文明の悲劇となるとすぐに同情が集まるのはなぜなのか、という気持ちもある。さまざまな取材の機会にミャンマーのロヒンギャ難民など、アジア、アフリカの惨状について話してきたが、掲載されるときはだいたいカットされている。先般、タリバンがアフガニスタンの女子教育の再開を停止したというニュースをBBCがようやく流したが、日本のメディアはアジア、アフリカのこうした人権問題におおむね無関心のままだ。

難民の時代が続く

 <1966年のデビュー以来、50年以上の作家生活の中で、著作や発言の中に「デラシネ」という言葉が頻出する。フランス語で、故郷や故国を追われた人々を指す言葉だ>

五木 デラシネとはすなわち難民のこと。棄民という言葉もある。人間を捨てるという行為が棄民だ。私は、20世紀後半はデラシネの時代だとずっと発言してきた。デラシネは一部では根無し草のように、自ら好んで放浪している人と思われることもあるが、まったく違う。かつてスターリンは黒海沿岸、クリミア半島付近に住んでいた人々を、大量にシベリアへ強制移住させた。そのように政治によって故郷から引き離された人を私はデラシネと呼ぶ。そして21世紀になっても難民はまったく減っていない。

―― 五木さんにとって、難民はずっと大きなテーマであり続けている。(国連難民高等弁務官事務所<UNHCR>の調べでは、2019年時点で世界の難民はおよそ7950万人。実に全人類の97人に1人が難民ということになる)

五木 フランス語には「ピエ・ノワール」という言葉もある。「黒い足」という意味で、アルジェリア入植者が先住民と区別するために黒い靴を履いていたからだと言われているが、植民地からフランスに帰って来た人々の蔑称だ。世界的なコロナ禍でカミュの『ペスト』が非常に良く売れたが、彼がまさにそう。代表作『エトランジェ』は、日本では『異邦人』と訳されるが私は内心、「引き揚げ者」と訳すべきだと思っている。植民地の支配者でありながら故国に帰るとブルジョア社会に溶け込めない人間たちだ。

 <カミュがさらされたフランス社会での疎外感や差別。しかしウクライナの文学者は、それどころではない悲劇に見舞われた。五木氏は旅するウクライナの吟遊詩人についてかつてこう書いた>

  彼らは盲目の音楽家が多く、ことにウクライナではバンドゥーラという民族楽器を奏しながら旅をして歩く、昔の日本でいうなら、さしずめ東北の瞽女(ごぜ)さんのような人々がたくさんいたらしいのです。

  しかしスターリンの強引な農村集団化政策、コルホーズ化の嵐の中で、各地を勝手に歩き回ってはウクライナ民族の伝承物語をうたい聞かせる人々が官僚たちに不快な思いをさせたであろうことは容易に想像がつきます。

 <さらに「歌は消せない」と言い放った女流詩人アンナ・アフマートヴァに対し、スターリン体制側がいかなる行為に及んだか、五木氏の文章はこう続く>

  「記憶が消せないのなら、記憶した肉体を消せばいい」

  そして、その考えは実行にうつされたのです。一ヵ所に集められた吟遊詩人たちは、すべて銃殺されました。バンドゥーラを抱いて彼らは地中に埋められたのです。ウクライナ民族の誇りと歴史を語り継ぐ記憶とともに。

          (『五木寛之全紀行3 遥かなるロシア』(東京書籍)より)

モノを捨てないことは人を捨てないこと

 <五木氏は最近、モノは捨てなくていい、と説いている。世の中が「断捨離」ブームに染まるなか、『捨てない生きかた』(マガジンハウス新書)という本まで著して、長い歳月かけて貯めたガラクタは絶対に捨てるな、と呼びかけている。なぜなのか>

―― どうして捨てない生き方を。

 「断捨離」という言葉がはやったせいか、世の中には「自分も捨てなきゃ」と思ってプレッシャーを感じ、それができないと「捨てられない自分はだめなんじゃないか」と悩んでしまう人もいる。そんな人に向けて、「捨てる必要はありませんよ」というメッセージを込めた。

 ここに42年前に作ったミュージックボックス(CD集)がある(写真)。ルポライターの竹中労と一緒に対馬まで行き、日本の歌の源流を訪ねたものだ。この写真にあるジャケットとセーターは、今日着てるのと同じもの。昔のモノは作りが良いし、擦り切れても何度も修繕して使っている。それからこの腕時計は1965年製のオメガだが、裏に彫り込みがあり、「五木寛之君」と書いてある(笑)。直木賞の賞品だ。これをずっと使っている。

40年以上前のCD集の写真に使ったジャケットとセーターを今も着ている。腕時計は直木賞の賞品のオメガを長年愛用している。
40年以上前のCD集の写真に使ったジャケットとセーターを今も着ている。腕時計は直木賞の賞品のオメガを長年愛用している。

―― とはいえ捨てないと、どんどんモノが増えていって整理整頓が困難では?

五木 靴などはまったく整理がつかず、山のように積み上げたままだ。だけどそれぞれに物語がある。例えば1968年の五月革命の時に居合わせたパリで買ったロンドンブーツ。これはパンタロンにしか合わないし、購入以来、家の外では一度も履いていない。しかしこれに触ると、その時、サンジェルマン・デ・プレで遭遇した催涙弾の匂いやシュプレヒコールが浮かび上がってくる。

 別の例を挙げよう。カール・パーキンスが書いた曲で、「ブルー・スエード・シューズ」というロックンロールのスタンダード・ナンバーがある。私はエルヴィス・プレスリーのカバーが大好きでよく口ずさんでいた。60年代後半のこと、横浜元町の信濃屋(1866年創業。日本で初めての洋品店)の前を通ったら、ブルー・スエード・シューズがウインドーに飾ってあって、なんとその曲も流れている状況に遭遇したんだ!

 即、大枚をはたいて買った。買ったはいいがこれがあまりにキザで履けない。そしてブルーがだんだん変色して黒くなってくるのを毎年眺めてきた。それでもこのスエードの靴を見ていると、当時ラジオの仕事していた時のことなどを思い出すことができる。

――「捨てない」でモノを長く大切に使うのはよいが、「モノを買わない」ことにつながると、経済が回らないという側面がある。経済誌としては気になるのだが。

五木 脱消費社会、脱廃棄社会に向けて、再生可能エネルギーなどをはじめ、再生産業を国家的、国際的事業として展開する必要があるだろう。再生産業が生産産業と同じようなウエートを占める時代になればいい。それが新しい資本主義ではないか。現在は60歳で定年になっても、再雇用される社会になった。あれは人材の再生産だ。

 私は以前、金沢にいたことがあるが、金沢は戦災に遭っていないこともあって古本屋が多く、多くの恩恵を受けてきた。古本屋が多い=捨てない文化の成熟。これは非常に大事なことだ。今、どんどん全国の書店が減っているから、それこそ古書店街の神保町あたりに政府が補助金を出して、海外の本も含め、廃棄されようとする本をそこへ集める大規模な再生書店を展開するようなことがあればと願っている。

孤独を耐える力になる

――『蓮如』をはじめ、仏教について数多く執筆している。「捨てる」ということについて、仏教の教えとは?

五木 奈良から平安にかけては鎮護国家の仏教だったのが、鎌倉初期に日蓮や道元、法然、親鸞、源信といった人々が「捨てない仏教」を言い始める。いわゆる鎌倉新仏教だ。そこでは「摂取不捨(せっしゅふしゃ) 」ということが言われた。従来の仏教は民衆に対し、「おまえらは卑しい。善行もしない」と手を振り払ってきたが、その中で「ただ念仏を唱えさえすればいい」と捨てられた者たちを抱きかかえてくださる阿弥陀如来を信仰の対象にした。これが念仏信仰であり、日本の宗教革命と言っていいと思う。

 どんな人もかけがえのないただ一人の存在であり、誰一人捨てないという考えは、能力や経歴ばかり優先して競争に明け暮れる現代社会にあらたな視点をもたらすはずだ。

―― 捨てないことのメリットに目を向けよ、と。

五木 近年、中高年の自殺者が増えていると報じられている。いまや自殺の原因の最上位は、経済的困難ではなく、孤独・孤立だ。私の経験では、モノを持っているほうが孤独に耐えることができる。長い歳月をかけて自分のもとにやってきたガラクタたちは、かつての記憶を呼び覚ます装置であり、財産だ。目の前にあるモノを見て、触れて回想が始まり、思い出やそこから生まれるあらたな気持ちに包まれて生きていく。これはけっして後ろ向きの行為ではない。

 人生の後半生を豊かなものにしたいなら、人もモノも「絶対に捨てるな」と何度でも言いたい。

(略歴)いつき ひろゆき 1932年福岡県生まれ。幼少期を朝鮮半島で過ごし、47年に引き揚げ。52年に早稲田大学ロシア文学科に入学し、57年中退。その後、編集者やルポライターを経て、66年に『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞を受賞し、作家デビュー。67年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞。また英語版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門) に選ばれた。このほか、菊池寛賞(02年)、NHK放送文化賞(09年)、『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞(10年)など受賞歴多数。主な著作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『下山の思想』『百寺巡礼』『生きるヒント』など。近著に、自分の生きる支えになった言葉を集めた『折れない言葉』(毎日新聞出版)がある。

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