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大量殺戮兵器を捨てない5大国 人間らしさ保障されない“核時代”=本間照光

世界は核軍拡の時代へ逆行している(1971年9月、仏領ポリネシアのムルロア環礁で行われた核実験によるきのこ雲)
世界は核軍拡の時代へ逆行している(1971年9月、仏領ポリネシアのムルロア環礁で行われた核実験によるきのこ雲)

 3月4日、ロシアがウクライナ領内で稼働中のザポリージャ原発を攻撃したとの報道は、世界に衝撃を与えた。人類滅亡の危機が、杞憂とは言えなくなっている。過去の遺物の帝国主義が、“核時代”の現代世界に甦っているからだ。

プーチンだけじゃない、核保有国の「狂気」

 ロシアのプーチン大統領は、今、「必要になればすべての武器を使用する」と言っている。また、これまで、ロシアの存亡の機に、核兵器の使用をも辞さないとしてきた。ロシア亡き世界になりかねないなら、むしろ人類亡き世界を選ぶということだ。これを、プーチン一人、ロシア一国の狂気として済ませられない。

 米国防総省も3月29日に発表した「核戦略の見直し(NPR)」(概要)で、「核抑止」を明記した。やはり、「極限的状況」においては「核使用を検討する」としている。米国は昨年2回、「未臨界核実験」を行った。この実験は、核実験への批判をかわしつつ核兵器の性能を高めるために行われる。

 米国、ロシア、英国、フランス、中国は今年1月3日、「核保有国5カ国のリーダーによる、核戦争を防ぎ、軍拡競争を避けることについての共同声明」を出したばかりだ。発効した国連の「核兵器禁止条約」に反対し、自らの核保有を正当化するためである。

 この声明で「核戦争に勝者はない」としながら、当事国がまったく逆の行動に出ている。核を使わないと掲げながら、いつでもそれを投げ出して使えるようにしている。5カ国は原発大国でもある。

日本の指導層にもはびこる「危険思想」

 他方で、日本政府は、米国の「核の傘」の同盟を堅持するとともに、核の保有国と非保有国との「橋渡し」をするとして、核兵器禁止条約に背を向けている。自由民主党、特に安倍晋三元首相を中心とする改憲派は、「非核三原則の見直し」「核の共有・保有」「敵基地・指揮系統機能(国家中枢)攻撃」「5年以内に国防費倍増」へと傾斜している。そのために、「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」を宣言した日本国憲法第9条の改定を主張している。ウクライナ危機に便乗して改憲を進めようとする動きすら見られる。

 1981年、ローマ教皇として初めて来日したヨハネ・パウロ2世は、広島から世界に向けて「平和アピール」を発信した。「戦争は人間の仕業です」「人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます」

 また、2019年11月23日~26日に日本を訪れたローマ教皇フランシスコは、日本からの帰路、「偶発的な事故や政治指導者の愚行によって人類が滅びかねない」「政府の狂気で人類は滅亡する恐れがある」と述べた。

かつて科学者たちは核兵器の廃止のために戦っていた(湯川秀樹博士〈右〉と話すアインシュタイン博士。1953年、米プリンストン高等科学研究所で)
かつて科学者たちは核兵器の廃止のために戦っていた(湯川秀樹博士〈右〉と話すアインシュタイン博士。1953年、米プリンストン高等科学研究所で)

色褪せていく「核禁止」の英知

 これらの呼びかけの背景には、人類が体験した核戦争の現実、原水爆禁止に寄せる被爆者と人々の声、「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955年)に結実した世界の科学者や知識人の英知、総じて核時代の思想があった。その後、核兵器禁止条約へと続く努力があったとはいえ、十分に共有されないままに色褪せてもきた。

 以下は、ラッセル=アインシュタイン宣言の引用である。

「私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである」

「私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいずれかの陣営を軍事的勝利に導くために取られる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである」

「一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態をいまだ自覚していない。一般の人々は今でも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない」

「人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか」

「私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなた方の人間性を心に留め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もしできないならば、あなた方の前には全面的な死の危険が横たわっている」

 冷戦が終わって30年。再び、核戦争、第三次世界大戦の危機に戻されている。しかし、戦局と政局の報道、さまざまな論評が世界にあふれながら、現代という時代、“核時代”を問う声が聞こえない。

核ある世界は、それ以前とは「異質」の世界

 筆者は、教皇フランシスコの来日の前後、①「核時代に懸ける人類生存の橋」、②「人類生存への日常と非日常」という二つの論考を毎日新聞に寄稿した。再度、核時代が人類に何をもたらすか、整理してみたい。

 かつての戦争は、互いの殺戮の果てに、勝者と敗者を生み出した。だが、核攻撃の応酬の果てには、勝者も敗者もなく、人類絶滅しかない。

 原水爆廃絶運動やバイオハザード(生物災害)問題を研究した哲学者の芝田進午氏(1930~2001年)は、人類の歴史は、「核時代以前」と「核時代」に分けられると定義した。つまり、核の存在は、戦争だけでなく、命の在り方、日常と、非日常という概念も変えてしまった、と言うのである。

 芝田氏が亡くなってから10年後、世界は、この言葉の意味を再認識させられることになる。東日本大震災に端を発する福島第一原発事故の発生である。

 大地震と巨大津波という自然災害が、原発爆発、命と暮らしの根源を脅かす原子力災害につながってしまった。「核時代以前」にはありえなかった事態だ。

政治指導者の愚行が世界を破滅させると指摘したローマ教皇フランシスコ(2019年の来日時)
政治指導者の愚行が世界を破滅させると指摘したローマ教皇フランシスコ(2019年の来日時)

核は「殺し合いのハードル」を下げる

 福島第一原発事故は、今日の核燃料で支えられた日常生活そのものが、「核時代以前」の日常とは異質のものになってしまったことを明らかにした。今にも、ウクライナの原発が、ロシアの攻撃によって放射能をまき散らす核兵器に転嫁しかねない。

 現代の世界においては、日常でも、多くの人に、人間らしく生きることが保障されていない。それが、人道を貶め、命を軽くし、対外紛争と戦争、虐殺へのハードルを低くする。操作された情報が飛び交い、自己点検を失い、世相は粗雑に流れる。内外に全体主義の気運をふくらませる。そして低くなったハードルが、核の保有と使用のハードルを下げるという悪循環を生む。

 人類史は、人間にとってもっとも大切なものは命であり、命を支える仕組みを強靭にすることが、優先されるべき価値であることを明確にしてきた。人類普遍の原理として、近代の人権宣言が始めに掲げるのも、「生命・自由・幸福追求の権利」だ。誰もが人間らしいまともなライフ(生命・生存・生活・人生)をまっとうできる、労働と生活の保障、社会づくりである。それによって人間が育ち、育った人間が人間らしい人類社会と世界を支える。

現代人の意識は今も「核以前」のまま

 しかし、核の登場によって、その道が自明とは言えなくなった。命のあり方も、人類の歴史も、戦争も、これまでと一続きに見えて、実は、様変わりしている。それにもかかわらず、現代世界を生きる多くの人々は、「核時代以前」の意識のままだ。今ここにある危機は、それが自覚されていないという危機である。

 現代の危機の背景に、存在と意識の大きなズレがあり、そのズレが広がるほど、危機も深まっているのである。

 求められているのは、核時代以前と核時代の「断絶」を直視し、そこからすべてを再出発させることだ。破局を回避するためにも、核時代の再考と共有が必要である。

 本間照光(青山学院大学名誉教授)

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