日露戦争に見る文明人の節度 =片山杜秀
有料記事
片山杜秀の闘論席
1904(明治37)年、日露戦争が勃発した。二つの国家は朝鮮問題を巡り、ずっともめていた。
しかし、その一方で、両国民間の友愛の情も確実に深まっていた。明治の日本人はキリスト教にひかれた。ロシア正教も北海道や東北に根付いていった。東京・神田に大きな教会もできた。日本布教の指導者、ニコライ主教の名からニコライ堂と呼ばれた。
日露の対立が深まり、ついに戦争に至ったとき、日本のロシア正教はどうなったか。活動を禁止され、ロシア人宣教師たちは拘禁されたり国外追放されたりしただろうか。そんなことはなかった。戦争中も、ロシア人宣教師たちの活動は原則として自由であった。彼らの退去を求める日本の民間人も多くいたけれど、正教会は警察によって厳重に守られた。
残り450文字(全文781文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める