62年前の秋、宏池会創設者は立派だった=片山杜秀
有料記事
片山杜秀の闘論席
岸田文雄首相は自民党の大派閥、宏池会のリーダーでもある。元は池田勇人が総理を目指して作ったグループだ。高楼(こうろう)から静かに広い池を見下ろすような穏やかな心持ちを保ってこそ、大志を実現しうる。池田が政治の師と仰いだ右翼思想家、安岡正篤がそんな意味合いを込めて名づけた。
宏池会の結成から4年目の1960年、機会は巡る。日米軍事同盟の深化に突き進んだ岸信介が、目的の強引な達成と引き換えに総理の座を退いた。後継に指名されたのは、岸内閣の閣僚から途中で抜けた池田だった。岸は退陣直後の7月のうちに、戦前には大川周明系の右翼団体に属していたこともある荒牧退助に刺され、重傷を負った。
世情は混迷した。池田は、岸のコワモテ路線からソフトな対話路線への転換を宣言した。が、それは表向きだけで、実は岸の路線の継承者とみなす者も多かった。同年秋の総選挙に新内閣の命運はかかった。
残り407文字(全文801文字)
週刊エコノミスト
週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める