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断続的戦争状態にあるロシアと戦争構造に組み込まれた日本 それぞれの「戦争文学」とは <島田雅彦氏インタビュー>

「戦争文学」について語る島田雅彦氏(法政大学の研究室にて)
「戦争文学」について語る島田雅彦氏(法政大学の研究室にて)

文学は、「反戦」と「戦争正当化」の両方の顔を持つ。文学と戦争、作家と戦争の関わりについて島田雅彦氏に聞いた。(聞き手=桑子かつ代・編集部)

―― 日本やロシアの作家は過去に戦争にどう関わってきたのか。

島田 文学者は戦士、兵士でもあった。太平洋戦争の従軍や捕虜の体験を元にした代表的な戦争文学がある。大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』、野間宏の『真空地帯』、大西巨人の『神聖喜劇』などだ。敗戦必至の絶望的な状況で芽生えるモラルとサバイバル、日本軍の理不尽な体質、いじめの内部告発などを描いてきた。

 世界でも文学者と戦争は深い関わりがある。日本でも馴染みの深い唐詩人たちも多くは武人だった。ロシアでは、例えばトルストイがコーカサス戦争(1851年)、クリミア戦争(1853~56年)に従軍したように、多くの作家、詩人がナポレオン戦争、ロシア国内の反乱やロシア革命、日露戦争、ナチス・ドイツとの戦争に関わってきた。

 ロシア近現代文学のなかで戦争は文学者の自我形成に深く関わっている。ロシアはアフガニスタンやチェチェンでの紛争を経て、現在のウクライナ戦争に至るまで断続的戦争状態にあり、ロシア人は戦争と無縁でいることができない。

―― 戦後の日本では戦争文学は成り立たなくなっているか。

「政治や政治家が戦争をどうとらえ、向き合うのかという視点で書くのも戦争文学だ」と語る島田氏
「政治や政治家が戦争をどうとらえ、向き合うのかという視点で書くのも戦争文学だ」と語る島田氏

島田 そんなことはない。日米安保条約というアメリカ中心の戦争構造の中に日本は組み込まれている。戦後の作家のような、リアルな戦争体験が現在書かれる可能性は低いが、元自衛隊の作家、先祖の記憶を呼び起こしながら、戦争を書く作家は少なからずいる。政治、政治家が戦争をどうとらえ、向き合うのかという視点で書くのも戦争文学だ。

―― 権力者の視点を想像して描くということか。

島田 戦争を遂行する者としての権力者、軍隊の士官や一兵卒、さまざまな視点から描く。一例として、ロシアの作家ソルジェニーツィンの『煉獄の中で』は収容所の囚人、看守らのさまざまな声が交錯する群像劇だが、独裁者スターリンが登場し、スターリンの視点で物語が記されている。

ダブルスタンダード

―― 戦争下での文学の役割は。

島田 戦争プロパガンダ(宣伝)のための表現がある。文学者は反戦の立場もとるが、一方で戦争を正当化し、士気を高め、ナショナリズムを効果的に盛り上げることにも貢献する。平和な時代においても、こうした相反する二つの役割を文学は果たす。

 現在、日本で広く読まれているのは反戦文学かもしれない。しかし、日本も戦時下は文学に限らず、映画界、美術界でも戦争に協力していたという事実から目をそらすことは出来ない。宗教界も同じだ。

ロシアではプーチン政権に抗議する作家や文化人が表現の自由を抑圧されている。身の危険を感じて海外に脱出する動きが続く。

―― ロシアでは作家が自由に書けない状況になっているようだ。

「文学者は反戦の立場もとるが、戦争を正当化することにも貢献する」と語る島田氏
「文学者は反戦の立場もとるが、戦争を正当化することにも貢献する」と語る島田氏

島田 今はソビエト時代と同じくらいの検閲になっているのではないか。続々とジャーナリスト、文学者が摘発されたり、殺害されたり、そして国を離れたりしている。友人で作家のボリス・アクーニン氏も国外に脱出した。もともと彼は日本文学者で、過去にプーチン政権の対日外交政策を助言するブレーンの役割を果たした時期もあった。しかし、独裁強化で言論への締め付けが高まりロシアを離れた。

検閲で事実を隠蔽

―― 検閲は文学や世論を変えることができるのか。

島田 政権や権力者は不都合な事実を隠蔽しようとする。戦争を遂行する権力者にとり、反戦の世論は叩き潰す対象になる。ウクライナ戦争が続くロシアでは、まさに反戦への言論が抑圧されている。

―― 自由な表現が厳しいロシアで注目している作家は。

島田 どんな状況でも、人間の良心や希望を持ち続けられる単位は家族だ。家族像の変遷はどの社会、国家でも、注目すべきポイントだ。文学はその最も基本的な部分、変容を観察するジャンルでもある。その意味で、ずっと女性文学、女性の作家に注目している。リュドミラ・ウリツカヤ氏、リュドミラ・ペトルシェフスカヤ氏、タチアナ・トルスタヤ氏などだ。ロシア人の作家で家族のことを書いている。

フィクション小説の意義

―― トルストイの『戦争と平和』のように、昔の文学は社会的な影響力が大きかった。現代では、社会的、国際的な問題をテーマに取りあげるような長編小説はみられず、個人の精神的な問題などが書かれている。

島田 元々、小説は天下国家を論じる大説に対して、私情を語るジャンルだったともいえる。メディアが社会的、国際的問題を正しく伝えないという背景と併せて考える必要がある。報道の堕落、ジャーナリズムの衰退が進む中ではフィクションの役割が大きくなるかもしれない。

 内部告発や不都合な真実の報道に政府や権力者から圧力がかかる時代には、フィクションのふりをして事実を暴露するという方法がある。内部告発者はしばしば裏切り者扱いされ、組織を追放される覚悟が必要だが、セカンドキャリアとして小説の形で事実をあからさまにするという生き方はある。文学作品としてのクオリティーが高ければ、歴史への貢献、証言にもなり得る。

今年3月に島田氏の『パンとサーカス』が出版された。日本の政治の現状に不満を持つ若者たちが、要人への連続テロを起こす長編小説だ。7月に安倍晋三元首相の銃撃殺害事件が起きると、読者から「テロを予言したかのような内容だ」という声も上がり、話題になった。

―― 日本に検閲はあるのか。

島田 当然ある。自分の場合、最初は自己検閲という形で、自分自身の問題として表れる。書くことへのためらい、これを書いたらヤバいと思うことがある。それをどう乗り越えるのかと考えながら、最終的には書いちゃえ、となる。

―― 最新作『パンとサーカス』発表後に紫綬褒賞を受けた。政治批判がテーマの本だが、プーチン政権なら発禁処分になるのでは。

島田 可能性はあるかもしれない。褒賞の連絡を受けた時、この本をまだ読んでいないのかもと思った。政治批判は見方を変えれば注意喚起でもある。民主主義をおとしめた人物への暗殺テロを警告したとも言えるが、自分のような異端の作家も陰ながら、悪政を正したり、テロの予防に貢献したりしているのだ。

しまだ・まさひこ

1961年生まれ、東京外国語大ロシア語学科卒。法政大学教授。大学在学中の83年に『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。『虚人の星』『君が異端だった頃』『カタストロフ・マニア』など著書多数。最新刊は2022年3月の『パンとサーカス』(講談社)。

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