小説 高橋是清 第217話(最終回)2・26事件 板谷敏彦
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(前号まで)軍事費が拡大する中、昭和11年度予算の閣議が始まる。是清は年々増加する赤字公債発行に限度を設け健全化をめざすが、過大な要求を続ける軍部との対立は深まっていく。
昭和11(1936)年、1月21日、議会での多数政党にもかかわらず、いつまでたっても政権の座がまわってこない政友会。ならば野党に徹して軍部と接近すべく天皇機関説排撃を理由に内閣不信任案を提出した。
しかしその時、岡田啓介首相は機先を制してすでに議会解散の詔勅を手にしていた。岡田は不信任案の朗読、議決を待たずに議会を解散した。
ここに昭和7年に井上準之助が暗殺された第18回衆議院選挙以来4年ぶりとなる総選挙が実施されたのである。
「今の内閣を続けていかないと、軍部と政党の一部が一緒になって国体明徴運動の下にファッショをやる空気がある。政党をよくするためには選挙が必要なのだ」
議会に岡田内閣の多数与党を作らねばならぬ、当時是清は選挙をこう説明した。この場合の与党とは政友会ではなく、かつて浜口雄幸や井上がいた民政党である。
選挙は2月20日に投票が行われ、結果は民政党205議席(解散前127)、政友会175議席(同242)と、民意はファッショの軍部と結託した政友会ではなく、国際協調的な岡田内閣を支持したのである。またこの時安部磯雄の社会大衆党も18議席(同3)と大きく勢力を伸ばした。
是清はこれによって議会も一息つけると安堵したのであった。永田鉄山軍務局長を惨殺した相沢三郎中佐の公判は1月28日から始まっていた。陸軍の過激思想を持つ皇道派の青年将校たちは、本来は陸軍改革のためには我々が立たねばならぬのに、相沢さんにすまぬと贖罪(しょくざい)感を持っていた。
さらに昨年12月に青年将校たちが主に所属する第一師団には満州派遣が発表されていた。厄介払いである。
満州の野で馬賊を相手にむざむざと戦死するくらいならば、むしろお国のために死にたい。革命のために命を落としたいと考えた青年将校は多かった。決起の時期は迫っていたのである。
彼らは元老、重臣、軍閥、官僚、政党等を国体破壊とみなし、特に天皇の意思をまげている「君側の奸臣(かんしん)」たちを排除せねばならぬと考えた。
また彼らは武力を背景に川島義之陸相を動かし「決起」の趣旨を昭和天皇に伝えて昭和維新内閣を樹立しようと考えた。陸軍内皇道派による政権の樹立である。
ターゲットは国際協調主義者で軍国化に反対する者、組閣大命降下の実質上の実行者である元老の西園寺公望(実行段階で除外)、牧野伸顕前内大臣、斎藤実内大臣、鈴木貫太郎侍従長、岡田啓介首相、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監である。
運命の朝
2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一の獄中手記によると、高橋は5・15事件の後、維新反対の上層財界人の人気を受けていたこと、参謀本部廃止論を唱え、昨冬の予算問題では軍部に対して反対的言辞を発していることが理由に挙げられている。また陸軍の渡辺は天皇機関説支持者という理由である。
選挙から間もない2月26日未明、陸軍第一師団と近衛師団の約1500人の反乱部隊が兵営を出発した。兵士の3分の2が入営1カ月ほどの初年兵で出動の事情をのみ込めない者も多かった。
午前5時に赤坂表町の是清の屋敷を襲ったのは、近衛歩兵第三連隊の中橋基明中尉の120人の部隊で、中橋は2階の10畳間で眠る是清に3発の弾痕を残し、鉄道第二連隊の中島莞爾少尉が6太刀を浴びせ無残な刀創を死体に残した。
検死の医師は是清は初弾で死亡したと判定した。中島の剣は卑劣な死後斬撃であった。
反乱部隊が…
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週刊エコノミスト
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