小説 高橋是清 第216話 公債漸減主義 板谷敏彦
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(前号まで)永田鉄山ら統制派は過激思想に傾斜する皇道派の一掃をはかり、満州事変を推進した真崎甚三郎を更迭するが、真崎に私淑する相沢三郎中佐が永田を斬殺、陸軍の内部抗争が激化する。
昭和9(1934)年11月27日、是清は病気の藤井真信に代わって大蔵大臣に就任した。
国際社会で孤立していく中で、日本は軍国化の過程をたどりつつあった。
12月26日、対満事務局官制公布。
陸軍は満州に軍政を布(し)くため、関東州の行政権を掌握しようとした。これは植民地の統治・事務を統括する拓務省や、外交問題を担当する外務省を満州問題に関する意思決定のラインからはずし、陸軍だけで完結できるように新たに事務局を作り、在満機構を統一するものだ。事務局長は陸軍大臣である。
外務省は駐満州全権大使の任免権すら放棄させられた。海外とはいえ陸軍が一般行政権に介入する最初の事例となる。まさに軍国化である。
「国家の災いというべき」
海軍は昭和5年に締結されたロンドン海軍軍縮条約の失効を昭和11年に控え、この年の年末に英米との間で改正のための予備交渉が行われた。海軍の代表は山本五十六である。
軍備増強に積極的な艦隊派が海軍人事を掌握し、英米との戦争を避けようとしていた条約派は劣勢であった。英米に対して建艦制限量の撤廃を求める海軍は条約改定に応じずに破棄、昭和11年以降ネイバルホリデー(建艦休止)は終了することになった。海軍は自ら条約を破棄しておきながら、条約がなくなることを理由に国防上の危機を喧伝(けんでん)した。
山本が頼みとしていた条約派の提督堀悌吉(ていきち)が出張中に予備役に編入され、山本は日本海軍の前途を憂えることになる。
条約を撤廃して建艦予算が増えはせぬかと心配した陸軍に対し、海軍は条約の制限から解放されることによるコストダウンの方が大きいと答えている。
昭和10年度予算は前藤井蔵相が作ったもので、この時の第67回議会では国体明徴問題、すなわち天皇機関説問題が論争の主役となり財政問題は陰に隠れた感があった。
軍事費が増大する一方で、日銀が一旦引き受けた国債の市中への売却が困難になりつつあった。
是清は年々増加する赤字公債の発行は財政を不健全にし、結局はインフレ要因を積み上げる危険を招く恐れがあると考えた。そこで赤字公債の発行には限度を設けることにした。
このため昭和11年度の予算折衝は難航が予想されることから、早めに始めようと昭和10年6月25日に基本方針を閣議に提出し承認された。
非常時財政の難局に鑑み、一致協力して公債の増発を避け、10年度予算よりも減らすこと。「公債漸減主義」とも「財政健全主義」とも呼ばれた。
この夏、葉山御用邸に閣僚が二組に分かれて天機奉伺(天皇のご機嫌を伺うこと)する機会があった。その最初の組の時に、天皇が「高橋はどうした?」と聞かれるので、鉄道大臣の内田信也が答えた。
「高橋は葉山の別邸には時折来ておりますが何分にも病中の事とてご遠慮申し上げております」
まさか腹からガスが出るからとは言えない。天皇は高齢の高橋の病状などをねんごろに尋ねた上で、「是非一度気易く出てくればよいのに」とおっしゃった。
内田が身振り手振りでこの時のことを是清に話し、次の組の天機奉伺に加わるようにすすめると是清は感泣して参加した。
「おお高橋、よく来てくれたね。身体はどうかい、よかったね」
天皇は是清の姿を見るや、自然に、あたかも慈父に接するかのように、是清をいたわったので、その場にいた閣僚一同は皆もらい泣きしたのである。
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昭和11年度予…
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週刊エコノミスト
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