アメリカ最新「仕事」事情㊤ 重要なのは「お金」か「やりがい」か? 中岡望
私たちには理解できない、世界一の超大国アメリカの全貌に迫る連載「日本人の知らないアメリカ」。今回は、アメリカの最新の仕事事情を前編と後編に分けてお伝えしたい。前編では、働く人々の「幸せ」について考える。
世界に取り残された日本の低賃金が問題になっている。1990年代のバブル崩壊後、日本の実質所得はほとんど上昇していない。アメリカの所得は、労働統計局の最新の資料によれば、男性の中央値は5万2208ドル、1ドル=130円で換算すると約678万円。女性の中央値は4万1770ドル、約543万円である。一方、日本の2021年の所得の中央値は、『国民生活基礎調査』によれば約440万円で、アメリカの女性の所得の中央値にも及ばない。日本人が豊かさを感じられないのは当然である。
バイデン政権は全国最低賃金を時給15ドル(約1950円)に引き上げる方針を明らかにしている。アメリカの労働市場は逼迫しており、職種によって時給は20ドル(約2600円)を超える水準になっている。最低賃金の全国平均額がやっと1000円を上回った日本から見れば、実にうらやましい額である。
だが、所得の水準だけで仕事の満足度が決まるわけではない。『ワシントン・ポスト』紙が、仕事の「幸福度」「社会的意義」「ストレス度」の3項目に注目したユニークな調査の結果を公表した(2023年1月6日、「The happiest., least stressful, most meaningful jobs in America」)。
労働統計局の「American Time Use Survey」に基づく調査で、それぞれの職種について、現場で働いている人たちが、「仕事に対する幸福度(how happy)」と「仕事の社会的意義(how meaningful)」、そして「仕事に伴うストレスや苦痛度(how stressed or pained)」についてどう感じているかを調べたものである。
全ての項目で「農業、伐採業、林業」が1位に
3つの項目でいずれも1位にランクされたのは「農業、伐採業、林業」であった。つまりこの分野で働いている人は、最も「幸せ度」が高く、最も大きな「社会的意義」を感じ、かつ最も「ストレスを感じていない」という結果が出たのである。
逆に「金融・保険業」に携わっている人は、3項目全てで最下位にランクされている。この分野で働く人は、「幸福度」が最も低く、「社会的意義」も最低と感じており、その一方で最も「大きなストレスを感じている」というわけだ。
おそらく、所得だけを比較すれば、「農業、伐採業、林業」に携わっている人の所得は最低であり、「金融・保険業」で働く人の所得は最高であると予想される。所得と幸福度、社会的意義、ストレス度は“逆相関”の関係にあるともいえる。言い換えれば、金融・証券業界で働いている人は、幸福度と社会的意義を犠牲にして、高収入を得ているといえる。
細かく見ていこう。「仕事の社会的意義度」で「農業、伐採業、林業」次いで2位にランクされたのは「健康・社会支援」である。もともとこうした業務に就く人は仕事の社会性を重視する人たちであり、仕事に高い「社会的意義度」を感じるのは自然である。次に高いのが「教育サービス」である。これも十分に理解できる結果である。社会的意義を最も感じていない業種は「金融・保険業」のほか「ホテル、レストラン、バー業界」「小売り業界」「行政職」などである。「行政職」の人々が社会的意義を感じずに働いているというのは意外である。
では、「ストレス度」はどうか。最もストレス度が低いのは「農業、伐採業、林業」。「金融、保険業」とともに「最もストレスの高い業種」にランクされたのは「教育サービス」だった。教師不足や低賃金、過剰労働、モンスター・ペアレント対応など厳しい労働環境に置かれて、多くの教師は大きなストレスを感じているのを反映したものであろう。弁護士などの専門職のストレス度も高いことがわかる。
この記事では、「農業、伐採業、林業」がいずれの分野でも1位にランクされた理由として、幸福度、社会的意義度、低ストレス度はいずれも「精神的な健康、緑の空間、野外での仕事の間に強い結びつきがある」と指摘している。「森林で働くことはセラピーに留まらず、アロマセラピー(芳香治療)の効果もある」。森林での仕事は「精神的安らぎ」を与えていると分析している。
さらに環境保全にも大きく役立っていることで、農業や林業に従事する人は「社会的な意義」を感じていると想像される。林業の仕事は長期に渡る仕事で「時間的にゆっくりと進む(work on a slower time scale)」。植樹をしても、伐採が行われるのは数世代後であり、目先の利益に追い回されることもない。「スローライフ」こそが、林業の最大の魅力なのである。同記事は、林業で働く人は「使命を抱いて(mission-driven)働いているため、金銭的な報酬が十分でなくても満足度が高い」と指摘している。農業や林業は「持続的社会」を構築する上でも重要な部門であり、エコシステムの中核となる分野である。日本でも若い世代の間で農業や林業に就く人が少しずつ増えているが、こうした動きは、おそらく先進国に共通する現象であろう。
最下位の「金融・保険業」で働く人の目標はFIRE?
他方、「金融・保険業」は日々の成果を求められ、高所得に対応してストレスも高い職種である。弁護士や研究者などの専門職に対する達成要求は高く、ストレスも高い。記事では「ホワイトカラーの仕事は、ブルーカラーの仕事より大幅にストレスが高い」と指摘している。
別のギャラップ調査(2023年1月26日、「Young Americans Demand Businesses Have Solid Moral Compass」)でも、『ワシントン・ポスト』紙の調査結果を裏付ける結果が出ている。
「企業にとって何が大切か」という問いに対して、18歳から29歳の若者の79%は「短期的な利益よりも社会に対する長期的に恩恵をもたらすこと」と答えている。同じ回答をした人は、30歳から44歳の働き盛りの世代の57%、45歳から59歳では52%、60歳以上で52%を占めた。世代を問わず、人々は、企業に目先の利益よりも、長期的に社会に貢献することを期待している。
「企業は地球や環境にとって持続的な方法で経営する」べきだと答えたのは、18~29歳で77%、30~44歳で64%、45~59歳で52%、60歳以上で59%だった。これは「最も幸福度」が高い職業が農業・伐採業、林業だったという調査結果とも一致している。
幸福度や社会的意義が最も低く、ストレス度が最も高い、金融や保険業界で働いている人たちは、てっとりばやく高収入を稼ぎ、「早期退職」をして、後はのんびり過ごしたいと思っているのかもしれない。
最も所得が高い10の職業
社会的使命に燃えて仕事を選ぶ人もいるが、同時に所得を求めて職に就く人も多い。『US News & World Report』は2023年に予想される最も所得の高い業種に関する記事を掲載している(「Top 10 Highest Paying Professions in America in 2023」)。
これによると、最も所得が高い職業は「医者」である。ただ、同じ医者でも、専門が違えば所得も大きく違う。アメリカでは医者の中で最も高い所得(平均値)を得ているのは「麻酔医」で、年収26万7020ドル(円換算で約3500万円)。これは平均値で、この額よりもはるかに高額の所得を得ている医者は多い。次が「外科医」で25万5110ドルである。ちなみに記事中には、なぜ「麻酔医」の所得が「外科医」よりも高いのかという説明はなく、日本人の感覚からすると理解しにくい。
医者の中で3番目に所得が高いのは「口腔・顎顔面外科医」で24万23700ドルである。アメリカでは整形手術は人気があり、見栄えを重視する富裕層の多くは手術を受けており、それがこの分野の医師の高所得に結びついているのであろう。医者の中で最も所得が低いのが「歯医者」で、17万5840ドルである。ちなみに世界で最も高い年収の職業は「神経外科医」で、年収は38万ドルを超えている。
医者に次いで高い所得を得ているのは「麻酔担当看護師」で、平均年収は17万4790ドル。「麻酔医師」と同様に「麻酔担当看護師」の年収が高いのは興味深い。3番目に所得が高いのは「石油エンジニア」で、平均年収は15万6370ドル。ただしこの記事では、年収は原油価格の動向で毎年変化すると指摘している。4番目が「情報システム担当マネージャー」で、平均年収は15万2860ドル。IT関係からの需要が多いのを反映している。5番目が「足治療師(podiatrists)」で、平均年収は14万8220ドル。高額の年収を稼げる背景には車社会と肥満があると想像される。「口腔・顎顔面外科医」の年収が高いのと「足治療師」の年収が高いのには、共通点があるかもしれない。いずれも顧客は高額の治療費を払う富裕層であるという点だ。
6番目が「営業担当マネージャー」で14万7240ドル、7番目が「財務担当マネージャー」で14万6830ドル、8番目が「飛行機のパイロット」で14万6660ドルである。9番目が「弁護士」で平均年収は14万4230ドルである。アメリカは訴訟社会で、「ホーム・ドクター」と同様に「ホーム弁護士」も存在する。訴訟の額も日本では想像もできないほど巨額であり、弁護士費用も高い。離婚専門の弁護士もおり、「3回離婚したら全財案を弁護士に取られる」という冗談もあるほどだ。同じ弁護士でも、「アンビュランス・チェイサー」、すなわち交通事故の救急車を追いかけ、病院で事故の被害者の弁護を引き受ける交通事故専門の弁護士の年収は低い。10番目が「販売担当マネージャー」で14万0320ドルである。
年収が低い「理容室でシャンプーする人」「レストランの案内係」
アメリカの貧富の差は極めて大きい。医者や弁護士のように専門職に就けば、高い年収が保障される。アメリカ社会は学歴社会で、高卒や大学中退者が就ける仕事は低賃金の仕事しかない。個人の金融相談ウエブサイト『The Balance』は、労働省の2021年の調査をもとにアメリカで最も賃金の低い25業種に関する記事を掲載している(2022年12月3日、「The 25 Lowest-Paying Jobs in America」)。その中の幾つかの業種の平均年収は以下の通りである。
なお米労働省の2021年の統計によると、フルタイムで働いた場合の最低年収は2万5160ドル(円換算で約320万円)、月収にすると2097ドル(円換算で約27万円)。それでもアメリカの低所得層の平均年収は日本の低所得層の平均年収より多いのである。
アメリカは職能給社会で、仕事の分担が細分されている。理容室で整髪するまえにシャンプーを担当する人(shampooer)の年収は2万5160ドル(日本円換算で約327万円)である。理容室での業務が分かれており、シャンプー、整髪、髪のスタイルの担当者は異なる。シャンプー担当者は一番賃金が低い仕事である。ファーストフードのレストランで働く料理人の年収は2万5490ドル。通常のレストランで働く料理人の場合、平均年収は3万1630ドルとファーストフードで働く人よりは高いが、他の職種と比べはるかに低い。
レストランやラウンジ、喫茶店で顧客を迎えたり、席に案内したり、予約を受けたりする仕事に従事するスタッフの平均年収は2万6000ドルである。レストランのウエイターやウエイトレスの場合、年収は増えて2万9010ドルである。配膳の担当者は2万9500 ドルである。飲食関係の仕事の年収は、日本と同様に極めて低く、日本円に換算すると300万円台である。
ただ、レストラン労働者の日米の状況には違いがある。アメリカではレストランの従業員は代金の15%から20%のチップを受け取るのが普通である。チップの収入は大きい。そうした特殊な状況を考慮して、連邦政府が定めるレストラン従業員の最低時給で2.12ドルと低く設定されている。ウエイトレスなどが受け取ったチップの一部は厨房担当者に渡される。ちなみに上記の平均所得はチップ収入を含めたものである。
アミューズメント施設で働いている人の平均年収は2万6110ドルと飲食関係とほぼ同水準である。小売店などのレジの担当者は多くはパートタイマ―だが、フルタイムで働いた場合の平均年収は2万6770ドルである。皿洗いの担当者は、同時に食材や食器などの準備を行うのが普通だが、平均年収は2万7350ドルである。学校や家庭で子供の世話をするチヤイルドケアー・ワーカーの平均年収は2万7860ドル。ホテルや老人ホームで清掃やベッドメイキングを担当する人の平均年収は2万9580ドルである。
どの国も富裕層は様々な顔を持つが、低所得層は一様に似た状況に置かれている。上記の年収はフルタイムで働いた場合であり、パートの仕事しかない人の年収はさらに低くなる。
後編では、アメリカの「転職事情」についてお伝えする。