歴史の深層にふれるなら、歴史家の叙述より歴史小説 本村凌二
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大文豪の名にふさわしいトルストイは、歴史家に対する批判者でもあった。「歴史家とは、誰も尋ねていないことをただ書き並べているだけだ」とは痛烈きわまりない。それだけではなく、『戦争と平和』は歴史の実像とはこういうものだと書き示したのだから、凄(すご)いの一言。
歴史家の叙述は、そこに生きる人間の姿や生活の現実となると、なにか物足りないものがある。優れた歴史小説であれば、どこか歴史の深層にふれた気分になれる。そこで2冊。
一つは、トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫』(小林惺訳/岩波文庫、佐藤朔訳/河出文庫)である。舞台は1860年、千人隊を率いたガリバルディ上陸に動揺するシチリア。最高位の名門貴族サリーナ家のドン・ファブリーツィオ公爵の運命と名門貴族の有為転変を描いたもの。イギリス貴族のような公事にかかわる「身分の高い者の社会的責任(ノブレス・オブリージュ)」の精神の持ち主とは異なる「高等遊民」。その生と死への感受性の鋭さがまぶしいほどだ。
だが、両シチリア王国の敗退と滅亡、新イタリア王国の誕生、公爵に対する上院議員への推挙申し出とその拒絶の経過という歴史の背景があり、若い男女の恋の成り…
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週刊エコノミスト
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