「袴田事件」の再審開始決定 袴田巌さん再審無罪へ 求められる制度改正 荒木涼子
「開かずの扉」をこじ開けた袴田巌さん。無罪主張から半世紀以上を要した一因には、再審制度の不備がある。
1966年6月に静岡市(旧静岡県清水市)で一家4人が殺された「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌さん(87)について、差し戻し審の東京高裁は3月13日、2014年の静岡地裁に続き、再審開始を認める決定を出した。その後、検察側が特別抗告を諦めたことで再審は確定、年内にも静岡地裁で再審公判が始まろうとしている。
当時の捜査当局の過酷な取り調べによって袴田さんが「自白」し、初公判で一転、無罪を主張してから57年。14年に1度開いた再審の扉が1度閉まりかけながらも紆余(うよ)曲折の9年を経てようやく開ききった。再審は「開かずの扉」ともいわれるほどハードルが高く、これだけの年月を要したのは袴田事件に固有の事情があるからではない。今こそ再審制度が抱える制度的・構造的な問題を改めるときだ。
なぜ再審確定までに時間がかかったのか。日本弁護士連合会・再審法改正実現本部の鴨志田祐美本部長代行は「最も根本的な問題」として、約500条ある現刑事訴訟法で再審制度については19条文しかなく、審議の進め方がほとんど定められていないことを挙げる。裁判所の裁量が大きく、担当する裁判官3人の裁判体によって「再審格差」があるとさえ言われる。
実際、袴田さんの再審開始を巡っては、1回目の再審請求審(81年~08年)から携わった弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「裁判体の訴訟指揮の変化が印象的だった」と振り返る。2回目となる今回の再審請求審では、弁護団の度重なる証拠開示請求に静岡地裁が応じ、村山浩昭裁判長(当時)が検察側に証拠開示を迫った。結果、開示された証拠は600点以上に上る。
再審への手続きが細かく定められていないために、証拠開示に関する規定も存在しない。一方で、通常の刑事裁判では裁判員制度スタートを見据えて05年に公判前整理手続きが導入され、証拠開示が進む要因となった。村山裁判長は再審請求審の終盤に差し掛かった13年7月、「仮に確定審(68年に死刑を言い渡すまでの地裁審理)で公判前整理手続きが実施されたら、当然開示対象になっていた」と指摘した。柔軟な訴訟指揮を表す、象徴的な言葉だ。
袴田さんが再審で無罪となれば、戦後の死刑確定者の再審無罪は、80年代にあった4件以来となる。この4件は、75年の最高裁で示された、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が、再審でも適用されるという「白鳥決定」に端を発する。
再審無罪に平均30年
しかし当時は、反省を生かした再審制度の法整備まで至らなかった。再審無罪までに平均で30年以上かかり、無罪を勝ち取るだけで弁護団も世論も目標を達成したかのようになってしまったとみられる。鴨志田本部長代行は「今度こそ再審制度の議論を始めなければならない。なぜなら、捜査や通常の裁判に関する条文は戦後の新憲法制定によって改正が進む一方、再審制度の条文は大正時代に帝国憲法下で作られたものが残ってしまっているだけだからだ」と指摘する。
検察当局は再審公判で有罪立証を見送る方向で検討しており、公判自体は大きな争点なく審理が短縮される見通しだ。袴田さんは人生の多くを死刑と隣り合わせで過ごした。弁護団側も早期の無罪確定を求めており、審理自体は救済の面において一日でも短いほうが良い。
一方、再審公判が短縮される以上、別途で検証すべきことがある。再審開始を巡っては、地裁決定と今回の高裁決定で2度も「証拠の捏造(ねつぞう)」が指摘された。捜査や当時の公判の検証は必須だ。もちろん公判中に証拠の犯行着衣が変わるなど、不可解な経緯があったにもかかわらず、焦点を当てなかった報道側も省みなければならない。
そして再審とは、誤った判断で有罪の確定判決を受けた冤罪(えんざい)被害者を救済することが目的のはずで、無実の者が処罰されることは絶対に許されない。政府は一刻も早く、再審制度の法整備に向けた議論を始めるべきだ。
(荒木涼子・編集部)
週刊エコノミスト2023年4月11・18日合併号掲載
「袴田事件」の再審開始決定 袴田巌さん再審無罪へ 求められる制度改正=荒木涼子