教養・歴史書評

ベトナム移民作家が描くパリ―ケベック間の逢瀬 楊逸

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 サクラの木が萌(も)えると気持ちもうきうきし出す。恋愛小説を読みたくなったのは季節のせいなのかしら。

『満ち足りた人生』(キム・チュイ著、関未玲訳、彩流社、2420円)は、「食」でつないだ大人のかなわぬ恋を描いている。著者は10歳の時にボートピープルとして家族とともにベトナムを去り、マレーシア難民キャンプを経てカナダへ渡った移民作家で、2018年にノーベル文学賞の代替賞であるニューアカデミー文学賞の最終候補に残った一人だ。

 ベトナム語で「満ち足りる」を意味する「マン」を名前に持った主人公は、育ての親の「ママ」に勧められるがまま、カナダのケベックでベトナム料理店を経営する男性に嫁ぎ、子どもにも恵まれた。

「夫が望んでいることを、夫自身が意識する前に予測するのも、いとも簡単なことだったのだ。下着が入った夫の引き出しに、肩の部分に縫い目のない白いTシャツが常に十分な数だけそろっているかということを私は気にかけた」というように「良い妻」として働く傍ら料理研究に打ち込み、ついにレシピ本『天秤棒』まで刊行し、フランスに招かれるほどの大成功を収めたのち、訪れるパリで一人のシェフ「リュック」と出会った。

 パリとケベックとの間を、ともに家庭を持つ身の二人は何度も往復し、愛を「魚の照り煮」や「バインセオ」などの美食とともにひそかに盛り上げていく。

「塩漬けされて焦げ茶色になったライムみたいだった」夫と、「緑に近く、ハロン湾の水の緑、あるいは年数を重ねて濃くなった翡翠(ひすい)の緑をしていた」というxanh(ベトナム語で「青い」)色の目をしているリュックとの差が鮮やか過ぎて、本当の愛を味わった彼女は「仮に私が一枚の写真だとしたら、リュックは、その日までネガとしてのみ存在していた私の顔を映し出してくれる現像液であり、定着液だっただろう」と、ついに真実の「自分」に気づいたのだった。

 小さなエピソ…

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