欧米の金融不安が強まる中、植田日銀に政策金利は引き上げられない 北村行伸
日本銀行の新総裁に植田和男氏が就任した。植田新総裁がどういう順序で政策を実施していくかは想像の域を超えないが、取り巻く経済環境や考え得る課題について、以下の3点を中心に論じたい。
第一に、1年後の政策金利の水準はどうなっているだろうか。まず実態として、黒田東彦前総裁の下での10年間に及ぶ超金融緩和策の結果、日銀が保有する国債の残高は560兆円を超えており、マネタリーベース(資金供給量)も2013年3月末の146兆円から646兆円へと約5倍に増えた。また、00年ごろから続くゼロ金利政策によって、政策金利は図の通り、過去23年間のほとんどの期間ゼロ(16年3月以後はマイナス)だった。
民間金融機関は日銀の超緩和策を所与としてポートフォリオをリバランス(組み替え)し、貸し出しビジネスをしてきた。近年はコロナ禍での中小企業支援策(ゼロゼロ融資)などと相まって、企業代謝を遅らせてきたという側面もある。この低金利の環境ではリスクの高い仕組み債の販売や、ビジネスモデルの破綻した不動産投資(「かぼちゃの馬車」に代表されるサブリース事業)などに傾斜した地方銀行の問題も指摘されてきた。また、人口減少、過疎化が進む地方で有力な融資先が減少しているという構造的な問題もある。
不可避なYCC解除
米連邦準備制度理事会(FRB)のかなり急な金利上昇局面で米シリコンバレー銀行や米シグネチャー銀行などが破綻した。さらにはスイスのクレディ・スイスなど富裕層向けの金融機関も経営危機に陥った。両国の当局は迅速な対応策を打ち出し、預金者の取り付けを抑えることには成功した。
しかし、これらの銀行に対する当局の規制や資金運用に対する判断がなぜ不十分だったのかは明らかではない。また、世界の金融市場から不確実性は払拭(ふっしょく)されておらず、想定外の銀行破綻が発生する可能性は残っており、神経質な取引が続いている。
全体として見た場合、政策金利は実体経済の動きに連動する。日本の政策金利が過去20年以上、ほぼゼロを維持してきたのは日本経済の低成長を反映したものである。足元の実体経済の状況、海外での銀行破綻の実態などを勘案すれば、政策金利が1年後にインフレ対策を名目に2〜3%に上昇している可能性はほとんどないように思われる。
第二に、日銀は1年後もマイナス金利を継続しているだろうかという論点だ。日銀は16年1月、マイナス金利政策の導入を決め、短期金融市場でのコールレート、国債市場での5年物以下を中心に短期国債の市場利回りをマイナスに誘導してきた。さらに、同年9月にはイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)という量的質的金融緩和策を始めた。10年物国債の利回りをおおむね0%に抑え、それより期間の短い国債利回りはマイナスになるように、国債を大規模に買い入れるものだ。
この政策の意図は国債流通市場での秩序を維持しつつ、金融緩和を進めるということにあった。しかし、短期金利は日銀が誘導しても、長期金利は市場が決めるという長年の原則に反したものである。また、この10年物国債の市場利回りコントロールはかなり無理がある。日銀は22年12月、10年物国債の利回りをプラスマイナス0.5%水準で変動を認めることとし、以後、0.5%水準で推移してきた。国債市場の機能正常化のためには、YCCを解除することが不可避だ。
しかし、市場取引を反映して、22年12月以後、償還までの期間別の国債利回りは、5年物0.1〜0.2%▽3年物0%▽2年物マイナス0.01%▽1年物マイナス0.1%──で推移し、マイナス金利の領域が減少しつつある。この動向は日銀の金融緩和の程度に強く依存している。
ゼロ金利の呪縛
ただ、先に見たように、日本経済がゼロ金利の呪縛から、容易に解放されるようにも見えない。経済成長の低迷のほかに、財政政策ファイナンス(資金繰り)の手段として、国債依存度が依然として高く、国の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する見通しは立っていない。日銀が金融緩和の程度を弱めようとしても、国債の買い入れを継続しなければ、新規に発行される国債(多くは借り換え債)は民間金融機関だけでは吸収しきれないし、意図せざる金利の上昇を招くことにもなりかねないなどの制約が残っている。中央銀行の独立性を考えれば、財政政策のファイナンス・コストと金融政策で決める金利は独立して決められるべきものではあるが、実際には、その依存関係は無視できない。
第三に、植田総裁の政策が実体経済や景気にどのような影響を与えるだろうか。植田総裁が独自色を出して金融政策の枠組みを変えていくには、まだ相当な時間がかかることはすでに述べた通りである。
黒田氏が日銀総裁に就任した10年前は、第2次安倍政権が誕生して半年もたっていない時期だった。黒田氏は盤石の政治基盤の下に、政権から委託された「デフレからの脱却」を目指して、「2年でマネタリーベースを2倍にし、2%のインフレ」を達成することを華々しく公約した。それに対して、植田総裁は超金融緩和政策から正常化に向け、細心の注意を払ってさまざまな政策を解除し、市場メカニズムの回復に向けて市場と対話などを始めることになるだろう。
金融政策の構造改革
最後に、植田総裁が本領を発揮しそうな点についてコメントしておきたい。
今後の社会や経済のデジタル化が進み、人工知能(AI)を広範に利用するようになった場合、金融業や銀行のビジネスモデルが大幅に変わることが予想される。それに応じて、中央銀行の立ち位置、金融政策の運用も大きく変わらざるを得ない。植田総裁はそのような場合に、物事の背後にある論理や原理を理解し、臨機応変に対応していく能力が極めて高いと思う。このような人材は財務省や日銀プロパーからはなかなか見つけにくいのではないだろうか。金融業界のデジタル化、AI化の流れが、今後5年以内に大きく進むかどうかは分からないが、金融政策のかじをその方向に切らなければならないことは疑いない。
この時期に植田氏が日銀総裁に就任したことは、我々にとって幸運であったと考えていいだろう。
(北村行伸・立正大学データサイエンス学部長)
週刊エコノミスト2023年4月25日号掲載
世界金融危機 植田日銀始動 欧米の金融不安が強まる中 政策金利は引き上げられない=北村行伸