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教養・歴史 リベンジ読書

新訳は良書のしるし──古典・名著に再挑戦しよう 永江朗

 学生時代、古典や名著を手にとりながら、途中で挫折した経験はないだろうか。歳月が流れた今、読みやすい新訳本として復刊するケースが目立つ。さあ、リベンジ読書といこう。

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 どんな本を読もうかと迷ったとき、古典の新訳を選ぶと高い確率で良書に当たります。なぜなら、その原典は多くの人に長く読み継がれた名作であり、新訳は訳文を現代日本の読者に合わせてバージョンアップしたものだからです。

 ぼくが「新訳」を本選びのキーワードにするようになったきっかけは、2003年に出た鴻巣友季子による新訳『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ著、新潮文庫)でした。ある日、近所を散歩していたら、前方からやってきた姫野カオルコさんがあいさつもそこそこに、「ねえ、鴻巣友季子さんの『嵐が丘』はもう読んだ? 素晴らしいわよ」と興奮冷めやらぬという様子で言います。その足で購入し、さっそく読み始めました。『嵐が丘』は高校生のとき父の本棚にあった三宅幾三郎訳で読んでいたのですが、ちっとも感心しませんでした。ところが鴻巣友季子訳だと面白い! 新訳というのはすごいものだと思いました。

近年新訳された注目の古典の数々。いずれも大きな反響を呼び、何度も版を重ねている
近年新訳された注目の古典の数々。いずれも大きな反響を呼び、何度も版を重ねている

 同じ年に村上春樹訳、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)が出て大きな話題になりました。野崎孝の訳で『ライ麦畑でつかまえて』として親しまれてきた小説です。現代の古典、永遠の青春小説が、人気作家の村上春樹によって訳し直されるというのですから、これはもう大事件。サリンジャー・ファンも村上春樹ファンも熱狂しました。なお、白水社はいまも野崎訳と村上訳の両方を販売し続けています。読み比べるのも一興。

個人編集で全集という偉業

 ところで、同じ訳者による改訳や他の訳者による新訳は、昔からよく行われていることでした。あえて新訳を売りにしたレーベル、光文社古典新訳文庫が06年に誕生したことで、新訳が注目されるようになります。従来ある光文社文庫とはレーベル名もデザインも変え、差別化したところがうまい。「古典」+「新訳」ですから本好きにはたまりません。このとき創刊第1弾のひとつ、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)がベストセラーになりました。「カラキョー・ブーム」なんていわれたりして。

 翌07年には河出書房新社の『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』の刊行が始まりました。「いまどき文学全集なんて誰が買うの?」という冷ややかな声をよそに大ヒットして、当初の計画よりも多い、全3期30巻を刊行しました。基本的に20世紀の作品を集めたこの全集でも、かつて『路上』という題名で知られたケルアックの『オン・ザ・ロード』(青山南訳)をはじめ、全30巻のうち半数以上が新訳または全面改訳、そして初訳です。『池澤・世界文学全集』の成功は、同じく池澤夏樹の個人編集による『日本文学全集』につながり、こちらでは明治以前の古典について、角田光代訳『源氏物語』や古川日出男訳『平家物語』など、若い作家による現代語訳が収録されました。新たな現代語訳というのも、一種の新訳ですね。

「いま、息をしている言葉で。」

 それにしても、なぜ新訳なのでしょうか。すでに翻訳されているものを新たに訳す必要があるのでしょうか。この問いには、光文社古典新訳文庫創刊のときの、「いま、息をしている言葉で。」というキャッチコピーをもって答えとします。昔から読み継がれてきた古典・名作を、生き生きとした現代の日本語で訳し直しました、ということです。日本語は変化が激しい。少し時間がたつと古びてしまう。

 そして、言葉以上に猛スピードで変化したのが日本人のライフスタイルです。以前、あるアメリカ文学者から「クリネックスとかティッシュ(ペーパー)という言葉を注釈ぬきで使えるようになった」と聞きました。かつては「クリネックス」を「チリ紙」と訳しても、その背景にあるアメリカの大量消費文化まで伝えるのは難しかった。いまは日本人の生活そのものが欧米化しただけでなく、留学や旅行で海外を訪れる人も増えました。もちろん映画やテレビドラマなどでも海外の生活が分かります。

 翻訳の質も上がりました。海外で高等教育を受けた翻訳者も多いし、ネットの登場によって調べ物も楽になりました。訳者あとがきなどを読みますと、原著者やエージェント、内外の研究者に直接問い合わせる人も多いようです。新訳が出るたびに読みやすく分かりやすくなっています(と断言すると異論のある人もいるでしょう。新訳が出るたびに論争が起き、それはそれで海外文学愛好者にとっては楽しみでもある)。

 原著の研究も進んでいます。たとえば昨年12月から刊行が始まった『スピノザ全集』(岩波書店)はこの種の本としては異例の売れ行きだそうですが、『エチカ』のバチカン写本が発見され、フランスで新全集が刊行されるなど、世界で進むスピノザ研究の最新成果を踏まえたものです。

 新訳のほか「復刊」や「新装版」に注目してみるのも面白いでしょう。一度刊行された後、新刊書店からは姿を消していたけれども、市場の欲求に応えて再び刊行するのが復刊。装丁や体裁などを新たにして出すのが新装版。業界裏話的には、書店から旧版の注文を待つよりも新装版として広く委託配本したほうが売れる(ことを期待できる)という理由もあるのですが、それは読者にとっては関係のないこと。復刊や新装版も新訳と同じく本選びのキーワードです。さあ、書店に行きましょう。

(永江朗・著作家)


週刊エコノミスト2023年5月23・30日合併号掲載

リベンジ読書 ──古典・名著に再挑戦しよう── 新訳は良書のしるし=永江朗

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