教養・歴史

ノーベル経済学賞のルーカス名誉教授が死去 常識化した「合理的期待」 原田泰

 米シカゴ大学のロバート・ルーカス名誉教授が5月15日、85歳で亡くなった。マクロ経済学でケインズ、フリードマンに次いで大きな影響を及ぼした経済学者で、1995年にノーベル経済学賞を受賞した。

 ルーカス教授の功績といえば、「合理的期待」である。人々が将来を合理的に予測すれば、さまざまな政策が無効になるというものだ。人々が物価は上がらないと思っている時、物価が2%上がれば、企業は需要の増加に合わせて供給を増加させようと考え、雇用と生産が増加する。

 だが、物価上昇2%が常態となれば、もう生産は増えない。さらに増やそうとするなら、物価を4%上げなければならず、物価上昇4%が常態になれば、さらに物価上昇を6%にしないといけない。こんなことを続けていけば、ハイパーインフレになってしまう。

 このメカニズムが理解されれば、人々は物価が上がっても生産を拡大しない。すなわち、政策は無効になる、と考えるのが「合理的期待」である。ルーカス教授は、これを説明するために、「完全予見」の下で、経済がどう動くかを説明するモデルを構築した。

 日本では、人々が完全に将来を予見して合理的に行動することなどありえないという意見が多かったが、その批判は的外れだ。ルーカス教授は、人々は先を見て合理的に考えるものだから、それを考慮して経済学を作り直し、経済政策を行わなければならないと言っただけだからだ。「合理的期待モデル」は、その考えを簡単に示すための数学的モデルで、現実がその通りに動くと言ってはいない。

 この考えは米国で広く受け入れられ、やがて日本でも受け入れられた。経済学者は予想を考慮に入れるという意味で、今やすべて“ルーカシアン”である。

成長論に関心移す

 その後、ルーカス教授は成長論に関心を移した。人類の歴史では1人当たりの所得は、18世紀の産業革命期まで増加しなかった。生産性が上昇することはあったが、所得の上昇などは人口増加によって帳消しにされていた。教授は、なぜ産業革命期以降、人口が増加しているのに1人当たりの所得が増えたのかを解き明かした。

 私は一度だけ教授とお会いしたことがある。97年のアジア通貨危機後、間もなくの時期で、通貨危機について聞いた。教授は「為替レートを固定するとは、自国通貨を持ち込まれた時には、その固定した値でいかなる手段によってもドルを集めて交換するということだ。そんなことができるはずがない。固定レート制が破綻するのは当然だ」と答えてくれた。

 固定レートの大きな変化に経済は耐え切れないのだから、政策によって経済が混乱することは認めていた。2008年のリーマン・ショックでも、金融緩和の必要性を論じていた。ルーカス教授は、人々は未来を考えると言っただけで、人々の予測が必ず当たると言ったことはない。

(原田泰・名古屋商科大学ビジネススクール教授)


週刊エコノミスト2023年6月6日号掲載

ノーベル経済学賞 ルーカス名誉教授が死去 常識化した「合理的期待」=原田泰

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