サミット前に懸案「駆け込み」 岸田首相の体面保った後始末は 松尾良
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広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)は、2016年の伊勢志摩以来となる日本開催とあって、大きな注目を浴びながら閉幕した。ウクライナのゼレンスキー大統領の突然の訪日は、会議の進行に一部混乱もきたしたが、それ以上のインパクトを内外に与えた。
中国の台頭やロシアの「独善」に直面し、限界が指摘されるサミットの評価は分かれるだろう。一方、岸田文雄政権は議長国としてこの節目を迎えるまでにどう動いたのか。何点か振り返りたい。
難航してきた装備移転
3月下旬、首相は訪問先のインドから遠路ポーランド経由で、電撃的にウクライナを訪問した。自衛隊の警護が望めない中、日本政府は「広島サミット前に何とか実現を」と模索していた。当時、首脳が訪れていなかったのはG7で日本だけだったが、戦後日本の首相が戦闘継続中の地域を訪れた前例もなかった。
同時に、ウクライナとの連帯をアピールする具体策として、政府・自民党が昨年から意識しているのが防衛装備品の提供だ。岸田首相は、殺傷性のない装備品支援として3000万ドル(約40億円)を拠出する方針をゼレンスキー氏に伝えた。日本の支援総額は1兆円に達している。
この時の支援は「殺傷性がない」点が独特なところだ。欧米各国は戦車やミサイル、戦闘機など大量の武器提供を進める。しかし日本は、装備品を海外に渡すことについて「防衛装備移転三原則」の制約があり、殺傷力のある武器については特に厳しい。
サミットを控えた今年4月から、自民、公明両党は三原則の見直しを協議している。昨年暮れに政府がまとめた国家安全保障戦略をめぐる与党協議で結論が出ず、持ち越されていたテーマだ。
自民党には「殺傷力のある武器の輸出に道を開きたい」との思惑があるが、公明党は慎重だ。首相自身、相手国のミサイル拠点などをたたく「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有には熱心だったが、装備移転の緩和を主導する気配は乏しい。広島サミット後、与党協議は長期化も予想され、落としどころは見えていない。
日韓関係の改善もサミット前に急進展した。夏ごろとみられていた岸田首相の訪韓がゴールデンウイーク中に急浮上し、5月7日、前回から2カ月足らずで韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と再会談した。
背景には、北朝鮮問題などで日米韓3カ国が安全保障上の連携強化を急いでいる事情がある。日米、米韓関係に支障はないが、日韓には歴史認識の溝が横たわり、長く関係が冷え込んできた。サミット時の日米韓首脳会談も意識し、日韓はさらなる行動を迫られた。
「私自身、厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む」
徴用工問題について岸田首相が尹氏にそう伝えたのは、日本としてギリギリの線だった。1998年の日韓共同宣言には植民地支配への「反省とおわび」が明記されているが、自民党保守派などに「岸田首相が改めて謝…
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週刊エコノミスト
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