②社会実験となったリフレ政策 前田裕之
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日銀主導で通貨供給量が増えればインフレに転じ、また、インフレ期待が高まれば実質金利を押し下げ、経済を活性化できるとみる異例の経済政策は何をもたらしたのか。
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「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」
2012年11月の衆院解散直後、野党第1党の党首だった安倍晋三はこう発言した。政権交代と政策変更を先取りした株式市場では、株価が上昇に転じた。アベノミクスの原点はこの発言にある。
1990年代後半以降、物価が下がり続けるデフレーションに直面していた日本経済は縮小均衡に陥り、経済が低迷していた。アベノミクスの第1の矢である異次元緩和の目的はデフレからの脱却にあり、リフレ政策とも呼ばれている。リフレはリフレーションの略語で、デフレからは抜け出たが、本格的なインフレーションには達していない状態を指す。リフレ政策を支持する経済学者らを「リフレ派」と呼ぶが、リフレ派は経済学界の中では主流派ではない。
異端の経済学
貨幣の供給量を増やせば物価が上昇し、デフレから脱却できると唱える仮説を「貨幣数量説」と呼ぶ。20世紀の米国の経済学者、アービング・フィッシャーが提唱した交換方程式(MV=PT、Mは貨幣の供給量、Vは貨幣の流通速度、Pは物価、Tは財・サービスの生産量)は貨幣数量説の考え方を簡潔に示している。
この方程式に従えば、仮にVとTが一定ならMが増えればPが上昇する。フィッシャーの影響を受けたミルトン・フリードマンは交換方程式をマネタリズムの論拠とした。フリードマンは長期と短期の議論を区別し、貨幣数量説が通用するのは長期だとみていたが、日本のリフレ派が好む「インフレとデフレはすべて貨幣的現象である」という表現からは、長短の区別は抜け落ちている。
貨幣数量説はアベノミクスの第1の矢を支える仮説であり、安倍の発言の根拠でもあった。リフレ派を代表する経済学者である岩田規久男(黒田体制の下で日銀副総裁に就任)は90年代から「マネタリーベース(現金と民間の金融機関が中央銀行に預けた預金の合計)を増やせば、インフレ率が上昇し、景気は回復する」と主張し、日銀を批判してきた。
岩田の主張は、貨幣の供給量を調節すれば物価をコントロールできると説くマネタリズムの発想に近く、反論する日銀との間で激しい論争が起きる。岩田は00年代に入り、官・学・民のメンバーによる「昭和恐慌研究会」を立ち上げ、リフレ派が結集する場となった。安倍は自民党衆院議員でリフレ政策の導入を訴えていた山本幸三らを通じてリフレ派との接点を持ち、経済政策の目玉にするべきだと考えるようになった。
実質金利と名目金利
リフレ派は貨幣数量説に加え、フィッシャーが唱えたもう一つの方程式(実質金利=名目金利−期待インフレ率)も取り入れた。実質金利とは名目金利から物価変動の影響を差し引いた金利水準である。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは98年の論文で、この方程式を実質金利の決定式だとする解釈を示した。
主流派の経済学者は、「実質金利は投資や貯蓄など実体経済の要因で決まり、期待インフレ率と名目金利が変化しても影響を受けない」と考えるのに対し、クルーグマンは「期待インフレ率が変化すれば実質金利が変化する」と主張した。積極的な金融政策によって人々のインフレ期待が高まれば、実質金利が下がり、企業や個人の行動を変化させられるとみるクルーグマンの仮説はリフレ派の支柱となった。
国際金融の視点から、リフレ政策を後押ししたのが米コロンビア大学教授の伊藤隆敏だ。90年代に入ると、ニュージーランド、英国、スウェーデン、カナダなどが相次ぎ、インフレターゲット(目標)政策を導入した。政府・中央銀行が一定の範囲内(1〜3%程度)の物価上昇率(インフレ)目標を明示し、その範囲内に収まるように金融政策を運営する仕組みで、日本のリフレ派は「2%の物価上昇率の目標設定は国際標準だ」と主張した。
もっとも、他国のインフレターゲット政策は物価上昇に歯止めをかけ、インフレを抑制するのが目的であり…
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週刊エコノミスト
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