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経済・企業 第63回エコノミスト賞記念論文

①研究開発めぐる「市場の失敗」を補うのが経済政策 岡室博之/西村淳一 

 第63回エコノミスト賞を受賞した『研究開発支援の経済学─エビデンスに基づく政策立案に向けて』(有斐閣)の著者2人(岡室博之・一橋大学大学院経済学研究科教授/西村淳一・学習院大学経済学部教授)が、日本における研究開発支援の推移や取り組みの状況について分析する。

日本の公的支援は国際的にも低水準

 新しい技術、製品や事業などを生み出すイノベーションは、経済発展の源泉である。私たちが直面するさまざまな社会的課題の解決のためにもイノベーションが必要である。

 イノベーションを起こすためには研究開発が欠かせない。研究開発の主体は企業、大学、公的研究機関、個人発明家などさまざまであるが、主な担い手は企業である。しかし、企業の研究開発には「市場の失敗」が伴うため、十分に行われない恐れがある。そのため、政府はさまざまな形で研究開発を支援している。

 経済学は、限りある資源をいかに効率的に配分して高い成果を実現するかを考える。政策資源(予算、人材など)にも限りがあり、それを限られた情報の下でさまざまな政策目的に適切に配分しなければならない。

重要な政策効果検証

 公的支援も常に最適であるとは限らない。どのような公的支援が必要か、望ましいかを考え、政策を見直し、より効率的で効果の高い政策に変更する必要がある。そのため、それぞれの政策の効果を適切に検証することが重要である。このような考えに基づき、「エビデンスに基づく政策立案」(Evidence-Based Policy Making=EBPM)が世界的な潮流になっている。日本でも2017年6月の閣議決定に基づいてEBPMへの取り組みが中央官庁を中心に広がりつつあるが、科学的分析に基づく専門家の学術的知見はなかなか理解されず、まだ広く浸透していない。

 企業による研究開発や企業間の共同研究開発、企業と大学・公的研究機関との産学官連携については、日本を含めて多くの実証研究の蓄積がある。しかし、研究開発の公的支援についてはデータの制約もあって実証研究の蓄積がまだ十分ではない。

 筆者は08年度以降、研究開発、特に産学官連携による共同研究開発プロジェクトの公的支援に関心を持ち、独自のアンケート調査などに基づいて計量的な分析と評価研究を進めてきた。この度、第63回エコノミスト賞を受賞した拙著は、これまで筆者が主に英文の査読付き学術誌に掲載した研究開発の公的支援に関する定量的な研究を整理し、日本の研究開発支援の評価研究をまとめたものである。拙稿では、研究開発支援がなぜ必要か、その評価分析がなぜ必要か、そして日本における研究開発支援がどのように行われてきたかをまとめる。

過小になる投資の水準

 経済学から見れば、あらゆる政策は個人や企業の自由な意思決定への介入である。公的な資金と労力を投入して市場と社会全体の資源配分を変えるため、政策の実施には明確な正当化が必要である。単に「必要だから支援する」という理由は認められない。なぜ公的支援が必要かということを、常に意識する必要がある。また、公的支援が必要であるとしても、誰に、どのように、どの程度行うのが望ましいのかを考えることも重要である。

 企業に対する経済政策を正当化する論拠は「市場の失敗」にある。研究開発から創出される知識は、さまざまな経路から外部にスピルオーバー(漏出)する。そのため、研究開発の努力に対する見返りが小さくなり、企業の研究開発投資の水準は社会的に望ましい水準よりも過小になる。

 また、知識は消費の非競合性(同じ知識を同時に複数の人が利用できる)と非排除性(対価を払わない人を知識の利用から排除できない)という特徴を持つ公共財であり、利用者のただ乗りが生じやすいので市場が成り立たない。さらに、研究開発には高い不確実性が伴うので、資本市場が完全でなければ、優れた研究のアイデアがあったとしても、資金調達は困難である。

 したがって、研究開発支援を含む経済政策は基本的に「市場の失敗」を補うものである。知識のスピルオーバーの問題に対応する政策のひとつは、研究開発に対する補助金である。公共財としての研究開発成果へのただ乗りの問題には、特許権などの知的財産権の設定で対処できる。この問題の一般的な解決は、市場(民間部門)ではなく政府部門、つまり大学や公的研究機関が研究開発を行い、成果を公開するというものである。実際、日本では研究開発投資の2割程度が大学を含む公的研究機関によって行われている。

 研究開発には「市場の失敗」が伴うため、政府が適切な政策介入を通じて研究開発投資を促進することが正当化されるが、政府も決して完全ではない。さまざまな「政府の失敗」も考慮されるべきである。政府は政策対象者との情報の非対称性の問題を抱え、その程度は市場より深刻かもしれない。

 例えば、プロジェクトの価値や見込み、申請者の質などを、多くの場合、政府は民間の資金提供者以上に知らないのである。また、政府の意思決定にはバイアス(ゆがみ)が見られる。選挙で選ばれる政治家は補助金の増額や減税は主張しても、補助金の削減・撤廃や増税を主張しない傾向にある。行政官(官僚)は一度始めた政策のための予算と人員を維持・拡充したいという意向を持つ。さらに、立案・施行した政策が必ずしも所期の効果を上げるとは限らず、負の効果や想定外の効果をもたらす可能性もある。政策の効果を丁寧に検証し、必要に応じて見直し、改善することが必要である。

 文部科学省科学技術・学術政策研究所の「全国イノベーション調査(20年)」に基づき、企業の研究開発・イノベーションの取り組み(17~19年)を見てみよう(図)。研究開発活動を行った企業は全体の6%、イノベーション活動を行った企業は半分(49%)、イノベーションを実現した企業は27%である。イノベーション活動は製品のデザイン、マーケティング、広告・宣伝、知的財産関連活動、従業員の教育訓練などを含む。

 イノベーションの実現は、プロダクト・イノベーション(新規、または改善された製品、またはサービスの市場導入)または、ビジネス・プロセス・イノベーション(新規、または改善されたビジネス・プロセスの企業内利用)の実現を指す。イノベーション活動を行った企業の27%がイノベーション活動のための公的財政支援(補助金・税額控除)を受給している。国と地方公共団体の財政支援を受給したのはそれぞれ17%と12%であった。

公的資金は0.9%

 企業の研究開発支出に占める公的支援の比率はかなり低い。総務省「科学技術研究調査」によれば、21年調査時点で、調査対象企業の内部使用研究費の94.6%が自己資金で賄われ、公的機関からの外部資金が0.9%、うち国や地方公共団体からの研究費は全体の0.4%に過ぎない。日本における公的支援の比率は国際的に見ても低い。経済協力開発機構(OECD)の調査(21年時点)によれば、日本企業の研究開発費のうち公的支援は1%未満に過ぎないが、米国企業では5.1%である。

 日本の研究開発支援の大きな転機は、1995年の「科学技術基本法」制定である。これに基づいて、96年度から5年ごとに「科学技術基本計画」が策定され、研究開発支援の基本的な指針が定められた。内閣府の司令塔機能が強まる中、90年代後半から00年代にかけて、産学官連携を促進する施策や地域の独自性を生かしたイノベーション実現のためのクラスター政策が続けて実施された(冒頭の表参照)。00年の地方分権一括法以降、研究開発支援についても政策立案・運営の地方分権化が進展している。

   ◇       ◇

 次号(下)では、拙著の中で特に地方自治体による研究開発支援に注目し、筆者の現在の研究内容を紹介する。

(岡室博之・一橋大学大学院経済学研究科教授)

(西村淳一・学習院大学経済学部教授)


 ■人物略歴

おかむろ・ひろゆき

 1962年大阪市生まれ。84年一橋大学経済学部卒業。86年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。92年ドイツ・ボン大学でPh.D.(博士号)取得。一橋大学大学院経済学研究科准教授を経て、2011年より現職。専門は産業組織論、イノベーションと創業の研究。経済産業研究所コンサルティングフェロー、文部科学省科学技術・学術政策研究所客員研究官、企業家研究フォーラム会長。


 ■人物略歴

にしむら・じゅんいち

 1982年東京都生まれ。2006年一橋大学経済学部卒業。07年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。11年同大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士号取得。一橋大学イノベーション研究センター助手を経て、13年より学習院大学経済学部准教授。18年より現職。専門は産業組織論、イノベーションの経済分析。医薬産業政策研究所客員研究員、研究・イノベーション学会編集理事。


週刊エコノミスト2023年8月15・22日合併号掲載

/上 『研究開発支援の経済学』 「市場の失敗」補う公的支出 日本は国際的にも低水準

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