教養・歴史書評

「いつか翻訳したい」願いを実現した著者の「ことば」観を読む 楊逸

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 今夏も異常気象で猛暑が襲来。テレビに映される天気予報図はどこも真っ赤になっている。書店で汗まみれの手をなんとなく『ことばの白地図を歩く 翻訳と魔法のあいだ』(奈倉有里著、創元社、1540円)に伸ばしたのはそのせいかもしれない。

 ロシア文学研究者・翻訳家として活躍する著者は、小学生の頃にレフ・トルストイの民話と小説に魅了され愛読し、高校生になるとロシア語を独学し始めたのをきっかけに、のちにロシア国立ゴーリキー文学大学に留学して翻訳を学んだ。

 私も父が口ずさむロシア語の歌が好きで勉強したいと思っていたが、いざ中学校に上がると、舌を震わせて「るるる」という発音ができなくて、「英語クラス」に振り分けられたという悔しい思い出がある。

「トルストイを原語で読みたいというのはあったけれど、辞書と首っぴきでもいいから読めるようになりたいというのではなく、トルストイがどんな思考回路でなにを見ていたのかを理解し、登場人物の息づかいまでもを感じとるような透明度で読み、いつか翻訳したい」

 この「夢」を見事に実現した著者。ことばとは、文化とは、翻訳とは、などについて自らの体験を交え日々の思考や心得を本につづっている。

「『文化』とはいろいろなものの混合物で、『異』だとかその逆に『純粋な』などという形容詞をつけるのは、撞着(どうちゃく)語法(中略)なのだ。にもかかわらず『純粋』や『異』が主張されている場合、話者が意識的にせよ無意識的にせよなにかしらの『枠組み』を強めようとして、その枠組みの線引きに固執するためにそうした表現を用いている可能性が高い」「そうした固執ぬきに文化を学ぶなら、教育委員会がいうような『日本人としてのアイデンティティの確立』にはつながり得ない。文化を学ぶことはむしろ反対に、『○○人としてのアイデンティティ』をほぐし、解消し、もっと広い地平に踏みだすことなのだ」

 このくだりには…

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