インボイス制度10月スタート! “見切り発車”で大混乱必至 編集部
「インボイス制度導入に伴う変更点/免税事業者への委託単価の変更/消費税分の減額」──。関東に住む建築士の70代男性(個人事業主)は今年2月、仕事を委託されている建設関連会社からこんな文書をメールで受け取った。文書のタイトルは「インボイス制度への対応」。今年10月から始まる消費税のインボイス制度(適格請求書等保存方式)を前に、委託元の会社が対応方針を説明する内容だった。
文書では、インボイス(適格請求書)の発行事業者登録をせずに免税事業者を続ける場合、消費税分をカットすると通告されていた。例えば、これまで消費税(10%)込み1万1000円で請け負っていた仕事の手取り額は今年10月以降、1万円に減らされてしまう。文書にはご丁寧にも、減額する1000円を1万1000円で割り、「減額率9.1%(消費税相当分)」とも記している。
一方、登録して課税事業者になった場合は、税込み1万1000円のままで「料金変更なし」と強調。こうした「新料金による委託」を10月から導入するとして、インボイス発行事業者の登録を求めている。男性の年収はこれまで、税込みで平均約600万円。報酬カット提案について、男性は「仕事が減る中、自分のような零細業者にとって消費税分のカットは非常に厳しい」と話す。
「背に腹は……」
現在は消費税の納税義務がない免税事業者の男性だが、インボイス発行事業者に登録して消費税を納める課税事業者になれば、納税負担や申告にかかる手間も増える。この会社は国土交通省の指定を受けた公的な「指定確認検査機関」。男性は「コンプライアンス(法令順守)は一体どうなっているのか」と納得できないが、「このままでは仕事を干される。背に腹は代えられない」として、8月下旬に登録申請したという。
消費税を納める課税事業者は原則、受け取った消費税から支払った消費税を差し引く「仕入れ税額控除」によって納める消費税額を計算する。この時、インボイスによらなければ仕入れ税額控除ができず、負担する消費税額が増えてしまう。そうした負担増を避けるため、免税事業者に取引の停止や値引きを持ちかけるケースが横行している。
公正取引委員会は、取引上の地位が優越している当事者が、取引の相手方に対し、その地位を利用して報酬カットなど不当に不利益を与えることは「優越的地位の乱用」に当たり、独占禁止法上の問題になるとしている。一方で、話し合いなど双方合意の上で価格設定すれば、報酬カットでも独禁法に当たらないとしているが、この会社からの「新料金」の提示は1本のメールだけ。説明会などの場はまったくないという。
説明会でクレーム噴出
公取委はインボイス制度を巡って、取引停止や報酬カットなど独禁法違反につながる恐れがあったとして、JTを含む18事業者を7月末までに注意した。JTは葉タバコ農家に対し、一方的に取引価格の引き下げを通告したとされる。同社の副会長は岡本薫明・元財務事務次官。大手企業のコンプライアンスも問われる。
「資料の原稿を一方的に読んでいるだけだ。我々にも分かるように自分の言葉で説明してほしい」「これでは時間の無駄で意味がない」──。8月下旬に東京都内の税務署が開いた、納税者向けのインボイス制度の説明会。「ぬいぐるみ工房の経営者」をモデルに、原材料業者と小売業者との取引を通じて仕入れ税額控除を説明する内容だったが、解説する税務署員に対して出席者からクレームが出た。
消費税は誰もがかかわる税でありながら、専門的な用語や概念が飛び交う複雑な税制だ。加えて、2019年10月の消費税率10%への引き上げ時、外食や酒類を除く飲食料品、定期購読の新聞を8%に据え置く軽減税率が導入され、複雑さに輪をかけた。そして、ダメ押しとなっているのが今回のインボイス制度。納税者の理解がなかなか追い付かないまま、“見切り発車”でいよいよスタートする。
税収増2480億円
そもそも、インボイス制度は、商品やサービスの売り手が買い手に対して消費税の正しい税率や消費税額を伝える必要性を名目に、軽減税率とセットで導入が決まった。しかし、ほぼすべての事業者に事務などの負担が増えるばかりか、免税事業者にもインボイス発行事業者登録によって課税事業者になることを迫る仕組みとなり、負担が立場の弱い事業者へしわ寄せされる現実がある。
政府は19年の国会答弁で、インボイス制度の導入によって免税事業者488万者のうち約160万者が課税事業者に変更し、約2480億円の税収増になるとの試算を示した。23年度予算ベースでは消費税税収は23.4兆円あり、税収増の効果は1%程度にとどまる。納税者側の負担増に対して得られる税収増は多いとはいえず、費用対効果の検証も今後の課題になりそうだ。
いったい、インボイス発行事業者の登録はどれほど進んでいるのか。国税庁によると、インボイス登録の申請件数は7月末時点で約370万者(課税事業者約278万者+免税事業者92万者)で、「登録が順調に進んでいる」(鈴木俊一財務相)という。課税事業者については約300万者のうち、推計で9割超の登録が済んでいることになる。
免税68万者が未登録
一方、個人事業主やフリーランスなどが多い免税事業者(460万者)の対応は業態で異なる。登録の必要性が高いのは、顧客が企業となる「BtoB」の業態(160万者)だ。士業やコンサルタント、システムエンジニア、建設現場の「一人親方」など、課税事業者との取引が多い業種で、92万者が登録したもようだ。ただ、残る68万者は登録するかどうかを決めかねているとみられる。
「(課税事業者の)タクシー会社がお客にインボイスを発行する中で、秋以降も免税事業者を続ければ個人タクシーはなくなる」。東京都個人タクシー協同組合の水野智文・副理事長は危機感を募らせる。タクシー客は会社員などのビジネス利用が多く、会社の経費精算に必要なインボイスを発行できなければ、別のタクシー会社に客が流れかねない。
同組合に所属する個人タクシー運転手は約5500人。このうち、秋以降も免税事業者を続けるのはわずか20人程度で、大部分は登録の申請を済ませた。インボイス制度によって経理処理が負担になるため、インボイス開始を機に廃業を選択する個人タクシー業者も出る可能性がある。一方、飲食宅配のウーバーイーツや出前館は10月以降も、配達員の報酬から消費税分を差し引かないと発表している。
インボイスの発行事業者に登録するか、しないか──。見極めはギリギリまで続きそうだ。
(中西拓司・編集部)
週刊エコノミスト2023年9月19・26日合併号掲載
インボイス&電帳法 納税者の理解が追い付かない “見切り発車”で大混乱必至=中西拓司