教養・歴史著者に聞く

卓越した精神科医で文学者だった“知の巨人”中井久夫の業績を紹介 藤原秀行

『中井久夫 人と仕事』

著者 最相葉月さん(ノンフィクションライター)

 昨年8月に88歳で世を去った中井久夫は、精神科医と文学者という二つの異なる領域で活躍したことで知られる。本書は“知の巨人”といえる彼の著作集の解説を手掛けたノンフィクションライターが、その内容を大幅に書き換え、足跡をたどることができる評伝に再構成した。

 著者が朝日新聞の書評委員を務めていた際、2006年に出版された中井の随筆集『樹をみつめて』(みすず書房)に触れ、関心を強く持つようになったという。

「精神科医でありながら歴史家の視点で世の中を深く見ておられるなど、非常に深い随筆の内容に感銘を受け、書評で取り上げました。さらに、私は当時、雑誌で素晴らしい仕事をされている方へインタビューする連載を持っていたのですが、担当の編集者にぜひ中井先生を取り上げたいと希望を出しました」

 著者が14年に上梓(じょうし)した、心理療法とセラピストに関するノンフィクション『セラピスト』(新潮社)では、中井が主要な取材対象の一人として登場。彼が日本の精神医療界で果たした役割を詳しく追っている。

「私としては、本書を『セラピスト』の延長線上に位置付けています」

 中井は統合失調症の患者自身に絵を描いてもらい、その風景から疾患の状態を見極める「風景構成法」を独自に考案。また統合失調症がいかに回復していくかという過程に着目、研究した「寛解過程論」を発表するなど、数々の業績を残してきた。

 その一方、診療時は待合室の患者を自ら呼びに行って部屋に招き入れ、緊張で長時間にわたり沈黙しても気にせず、話し出すのを根気よく待ち続けた。患者との関係を重視する臨床の姿勢は同僚や部下らに大きな感銘を与えたという。

「突き抜けた天才といえるほどの存在なのにご本人は全く偉そうにせず、誠実かつチャーミングな人柄でした。『自分は中井先生の弟子』と話す医療関係者が実にたくさんいらっしゃいました。周囲の皆さんに慕われていたことがよく分かります」

 文学者としてはラテン語や現代ギリシャ語、オランダ語に通じ、詩の翻訳やエッセーで活躍。読売文学賞やギリシャ国文学翻訳賞などを受賞し、13年には文化功労者に選ばれた。

 際立つのが、1995年の阪神・淡路大震災後の活動だ。神戸大学医学部の教授だった彼は、全国から集まったボランティアの医師や看護師らを受け入れてネットワークを形成、…

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