企業の社会的責任(CSR)と利潤追求を考える 石井泰幸
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今日、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility、以下CSR)に対して疑問を呈する人はほとんどいないであろう。CSRとは企業が事業活動において利潤追求にのみ汲々するのではなく、株主、従業員、顧客、地域住民といったステークホルダーに対して果たすべき社会的責任のことである。それはアカウンタビリティ(説明責任)、フィランソロピー(慈善事業)、環境への配慮といった形で実際に多くの企業によって実践されている。とくに、SDGs(持続可能な開発目標)がここ数年の間に一般化してからは、多く企業はCSRの具体的実践としてSDGsの達成への貢献活動にコミットメントしている。実際、ロシアによるウクライナ侵攻や気候変動等、様々な問題が顕在化する中で、企業が自らの社会的責任としてこれらの問題の解決に取り組むことは非常に重要である。
とはいえ、企業はこれらの問題に対してどこまで責任を負うべきなのか。社会的責任の範囲が曖昧であるため、このような問題が生じる。実際、私たちが日々目にしているように、CSRは法的責任よりもかなり広いものである。法的責任も当然、CSRに包含されるが、法的責任については責任の所在とその範囲が明確である点で曖昧性は存在しない。つまり、企業犯罪を行った企業は自ら行った不法行為に対して責任を負い、その責任の範囲において社会的な非難を甘受する。
不買運動のリスク
では、ある企業の行動に法的な問題がなかったとしても、倫理的に問題があった場合はどうであろうか。例えば、ある企業が自らは直接関与していなかったとしても、サプライチェーンにおいて強制労働や環境破壊があった場合である。このような事例としてアメリカの大手スポーツメーカーのナイキに対する不買運動が挙げられる。ナイキは自社製品の製造を労働費用が安価な東南アジアの工場に委託していたが、そこで児童労働が行われていたことが発覚し、世界的な不買運動を招くこととなった。ここではナイキが直接的に人権侵害行為に関わっていたわけではないが、途上国における搾取労働を助長したとして社会的な非難の対象となったのである。実際、これは適切なサプライチェーンマネジメントが行われれば、回避可能な事例であり、ナイキはマネジメントを怠ったことに対して、社会的な非難という形で責任を負うことになってしまったのである。
以上のような事…
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週刊エコノミスト
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