SNSの「語り」に惑わされない思考を育てる 『人を動かすナラティブ』著者、大治朋子さん語る
ぼんやりしているときの思考が大切――『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』(毎日新聞出版)の著者で毎日新聞編集委員、大治朋子さんが2月9日、「子どもを動かすナラティブ その可能性と危険性」をテーマに東京都北区立滝野川小の研究発表会で講演しました。骨子を紹介します。
●エルサレム特派員の経験から
「ナラティブ」は通常、「語り」「物語」と訳されます。解剖学者の養老孟司さんは「ナラティブは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式ではないか」と指摘されました。私たちは事実をお話、あるストーリーにのせてとらえています。だからこそ、それは理解しやすく、記憶に留めることができるのです。
私がナラティブについて深く考えるようになったのは、エルサレム特派員時代からです。今はイスラエル対イスラム組織ハマスの、「組織」同士の戦いですが、2015年ごろは、パレスチナ人の10代の若者がナイフや缶切りでユダヤ人に襲いかかる事件が相次いでいました。調べたところ、多くは行動の直前にSNS(ネット交流サービス)を見ていたんですね。当時は過激派組織「イスラム国」(IS)が「ユダヤ人を刺し殺せ」とあおる動画を盛んに流していて、それを見続けた、非行歴のなかった子どもたちが突然、行動に出ていました。
●ナラティブの置き換え
人がなぜ過激化するのか。特派員としてまた大学院生として現地で6年半研究を続け、私は「ナラティブ」が大きく影響しているのではないかと考えるようになりました。
人はストレスを感じたり、困難に陥ったりしたとき、それまでに接した人や情報から物語をつむごうとします。交通事故で子どもを亡くした親は「出血多量で死にました」という医師の説明では納得できない。「なぜ我が子だったのか」というお話を必要とします。
テルアビブ大学大学院で学びながらホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き延びた人たちのための公的心理ケア施設でボランティアをしたとき、出会った女性がトバさんです。
トバさんは、当時の体験がトラウマ(心的外傷)となり、戦後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいたそうです。しかし、80歳を超えてから、自伝を書き始めました。「森で3年間逃亡生活を送っていたとき、親切な農民らが食べ物を分け与えてくれた経験を子孫に伝えたい」。そんな思いからでしたが、7年をかけてじっくり人生を振り返り、本を読んだり考えを深めたりしながら書き進めていくうちにPTSDの症状が緩和したというのです。「それまでは、ナチスに迫害された被害者だという意識があり、それを見ないように生きてきました。それが書いているうちに、私たちはナチスが目指したように絶滅することなく、子孫をつくることができた。私たちは負けたんじゃないんだと考え方が変わった」と話されました。
これまで悪い物語として記憶にあり続けていたものが、人生を振り返ったことで、そうではない認識に変わる。「ナラティブの置き換え」が起こったのです。
●SNS時代のナラティブ
ナラティブの置き換えを支えるのは、カウンセラーや周囲の人々、社会です。SNS時代の今、そのありようは大きく変わりました。
SNSには膨大な量のナラティブがあり、人々はその中から自分が気に入ったナラティブを取り込むようになったのです。しかも、トバさんのようにゆっくり自分でナラティブをつむいでいくのではなく、さまざまなナラティブを次から次へ処理していくような感じになる。その結果、より過激、よりネガティブ、より他責的なものに引きつけられやすくなり、極端な行動につながっていくのです。
犯罪にも影響しています。例えば、2021年10月、京王線特急電車内で当時24歳の無職男性が乗客をナイフで刺した事件。私は裁判をずっと傍聴しました。被告の彼が抱えていた私生活や職場でのストレスは特別なものではありません。彼は自殺しようとしましたが、死ねなかった。人を殺せば死刑になると考えましたが、人を殺すことのハードルは高い。そこで彼は、悪のヒーローに自分を重ね合わせ、過去の事件の容疑者の供述内容などを一方的にインストールして、米映画のキャラクター「ジョーカー」の装いで行動に移したのです。
前向きにナラティブを作り直した人もいます。
生まれつき脳性マヒで四肢マヒの構井遼さんは、「できないことだらけの人生だったのに、できる人生に変わったんだよ」と話してくれました。技術者の父親が、顔の筋肉の動きを信号としてとらえて活字に変換できる技術があることを知ったことがきっかけでした。その技術の開発者と構井さん親子で数年かけて技術を進化させ、今では構井さんが右の奥歯をかむと車いすが右に回り、左の奥歯をかむと左に回ります。自分の意思で車いすを動かせるようになったのです。構井さんは「野球をしてみたい」と高校の野球部の練習にも参加、最初は戸惑っていた野球部員たちにもいい影響をもたらしました。障害のある人たちに対する部員のナラティブも変わったのです。
●弱い「カギ穴」が狙われる
過激なナラティブを聞いて、それに惑わされてしまう人とそうではない人がいる。その違いは何か。私は「ナラティブ」を「カギ」ととらえたとき、カギを受容する「カギ穴」がポイントではないかと考えるようになりました。
私たちは通常、情報の「カギ」そのもの、フェイクニュースかどうかなどに着目します。しかし、受け取る側の「カギ穴」が柔軟でいろいろなヒダがあれば、いったん情報を入れても、これはおかしいと思ったら吐き出すのではないか。
改めて調べると、アメリカ国防総省の国防高等研究計画局(DARPA=ダーパ)が、2011年から5年間、「ナラティブ」と「物語」の研究を行っていました。DARPAは最新兵器の研究機関です。
約200本の論文を発表していますが、そのうちの一つに、話がポジティブであろうがネガティブであろうが、人が共感し、物語に没入すると、血中のオキシトン濃度が上がることがあります。実際に体に変化が起きることは驚きでした。
イギリスのデータ分析企業「ケンブリッジ・アナリティカ」は、イギリスのEU離脱やトランプ前アメリカ大統領誕生の世論工作に関わったことで知られた会社です。インタビューした内部告発者は「心理的な脆弱性を抱えている人が強く反応するナラティブを故意にSNSで流して、拡散させる」と話しました。つまり、「カギ穴」が弱い人がいることを見抜いていて、その人を狙って働きかければ、社会を大きく動かせるというのです。
『人を動かすナラティブ』の表紙のイラストは、彼の言葉「low hanging fruit」(簡単に手に入る獲物)からとりました。
●ナラティブ・モードの思考を鍛える
企業や軍の組織は、SNSを利用してナラティブの置き換えを本気で作為的に行っています。認知戦とも言われます。昔は人の勘とセンス頼りだったのが、今はアルゴリズム(コンピューターがデータ処理する際の手順)やAIによってすべて自動化されている。子どもたちが生きていくのは、そんな社会なのです。
過激なナラティブに惑わされないためにどう備えればいいのか。
脳科学の専門家によると、脳には論理科学モードの思考とナラティブ・モードの思考がある、とのことです。論理科学モードの思考とは、IQのように数字でも表現しうるもの。それに対してナラティブ・モードの思考は、私たちがぼんやりしているとき、できごとや人の言葉、体験、知識などが頭の中で混在する中で、点と点を線で結んでいくような思考です。
夜空の星を思い浮かべてください。一つ一つの星はそれぞれ実体験、あるいは知識です。その星を線でつないで星座にするのがナラティブ。自ら考えて自分だけの星座を見つけていくことが大切なのです。
その力を養うには、「書く」「読む」「聞く」「即興演劇」に効果があるのではないでしょうか。
(1)書く
手書きです。イスラエルの大学院ではパソコンを閉じ、手で書くように指導されました。作文や日記、自分史をゆっくり時間をかけて、自分の言葉で書いていく。「時間をかけるほど、また時間がかかったほど記憶に残りやすい」と言語脳科学者の酒井邦嘉・東大教授も指摘されています。
(2)読む
最近はニュースなどの情報を動画で得る人も多いですが、動画は「情報を処理する」ばかりで、受け身になります。大事なのは文字を読むことです。「読む」行為は圧倒的に情報量が少なく、だからこそ脳は足りない情報を想像力で補いながら、自分の言葉に置き換えていこうとします。調べるにしても、ネット検索するのではなく、図書館に行って調べる。あえて不便にすることも大切かもしれません。アルゴリズムで狭められた世界を広げることにもなります。
(3)「聞く」
私は「聞き書き」に注目しています。聞き手が主体的に問いかける「取材」とは違い、「聞き書き」は話し手が語った内容をそのまま書くので、その人になりきって、その考え方や思いをなぞります。文章能力が問われないのもメリットでしょう。
(4)即興演劇
他者になりきって演じ、その人の視点に立ってものごとを見る。全身を使うこともナラティブ・モードの思考力を高める効果があります。
●「個人の物語」の時代に問われる力
現代は「個人の物語」の時代です。「個」が拡大していて、学校、職場、地域などのコミュニティーの存在感が非常に小さくなっている。その状況下で自分が何者であるかを示すことは容易ではありません。寄る辺がないゆえ、人は逆に大きな物語を求めてしまう。その結果、極端な国粋主義、全体主義を目撃している現実があります。
自由であればあるほど自分のナラティブをつくるのは難しい。だからこそ、ナラティブを自ら生成する力が問われていることは間違いないようです。
●プロフィール●
おおじ・ともこ
毎日新聞編集委員。防衛庁(当時)による個人情報不正使用に関するスクープで、新聞協会賞を2002年から2年連続受賞。ワシントン特派員として「対テロ戦争」の暗部をえぐり、2010年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。エルサレム特派員時代には暴力的過激主義の実態を調査報道した。イスラエル・ヘルツェリア学際研究所大学院(テロリズム・サイバーセキュリティ専攻)修了、テルアビブ大学大学院(危機・トラウマ学)修了。他の単著に『勝てないアメリカ―「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)、『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』(講談社現代新書)、『歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか』(毎日新聞出版)など。