教養・歴史

竹田陽介・上智大教授が最終講義で恩師と経済学を語る 浜條元保

上智大学で最後の講義に臨んだ竹田陽介教授
上智大学で最後の講義に臨んだ竹田陽介教授

 優雅なバイオリンの生演奏から始まる経済学講義は初めてだった。しかも、その奏者はこれから講義を始める教授の愛娘……。

 上智大学の竹田陽介教授が3月9日、最後の講義を行った。「おっと、危ないですね」。直後、うつむき言葉に詰まる。教室にはご家族や大学の同期、教え子らが駆けつけている。教壇に立ち懐かしい顔を見た瞬間、いろいろな思いが脳裏をよぎったか。涙腺崩壊を思わせたが、そこは踏みとどまり自身の生い立ちから恩師、経済学者としての半生をその時々の写真をモニターに映しながら語る、少し変わった経済学講義が始まった。

宇沢弘文と浜田宏一

 小学校は4回、中学校は2回、転校したという。だから「友だちができるわけがない。引っ込み思案な子どもだった」と振り返る。心配した母親が演劇でもやらせれば、変わるかもしれないと劇団に入れようとしたほどだった。

 経済学者に進むきっかけは、東京大学のゼミにさかのぼる。大学近くの古本屋で偶然、手に取った本が『自動車の社会的費用』。便利な交通手段として、また日本の高度経済成長をけん引する基幹産業の自動車がもたらす公害や交通事故といった負の側面に着目し、その使用者は支払うべき費用を負担していないと、東京大学の宇沢弘文教授(当時)が新古典派経済学を用いて問題提起した話題の書だった。経済学は実社会に応用し、具体的な提言ができる学問という思いを抱き、宇沢ゼミを選んだ。

盟友・矢嶋康次さん(左)と「第54回(2013年度)エコノミスト賞」を受賞
盟友・矢嶋康次さん(左)と「第54回(2013年度)エコノミスト賞」を受賞

 もう一人の恩師は米エール大学の浜田宏一名誉教授だ。自身がエール大学で2年間の研究生活で、浜田氏からは論文の書き方を学んだ。誰に読ませるのか、どんな場所に発表するのかといった基本から具体的な構成までたたき込まれた。浜田氏から伝授された論文の書き方は「竹田家の家宝」という。

 研究者として、また教育者として1994年から上智大学で研さんを重ね、その成果は1冊の本に結実する。2013年に盟友の矢嶋康次ニッセイ基礎研究所チーフエコノミストとともに上梓(じょうし)した『非伝統的金融政策の経済分析:資産価格からみた効果の検証』である。担当したのは、敏腕編集者として知られる増山修氏だった。

 日本は90年代後半の金融危機以降、政策金利をゼロ%とし、日銀が市場に供給する資金量を拡大する非伝統的金融政策を採用。デフレ脱却と景気浮揚を目指したが、10年以上経過しても効果が上がらなかった。竹田、矢嶋両氏は非伝統的金融政策が人々のインフレ期待に働きかけることも、投資家にリスクテークを促すこともできないと同書で明らかにした。同書は「第54回エコノミスト賞」を13年に受賞。経済学者として、さらなる飛躍が期待された。

秘書として長年竹田教授を支えた松山純江さん(右)と
秘書として長年竹田教授を支えた松山純江さん(右)と

 しかし、前途は暗転する。自身が否定した非伝統的金融政策がさらに強化されたからだ。第2次安倍政権で進められたアベノミクスのスタートである。3本の矢のうちの第一の矢である異次元緩和政策は、竹田氏の恩師である浜田氏がその理論的支柱。尊敬する師ではあっても異次元緩和には賛同できなかった。

 それから10年、暗いトンネルに一筋の光明がさした。昨年4月、尊敬する植田和男東京大学名誉教授が日銀総裁に就任したからだ。植田日銀は、今まさに金融の正常化に向けて踏み出すところ。植田教授なら「絶対に大丈夫」と太鼓判を押す。

「もはやケインズの時代ではない」という竹田教授。4月から愛知大学に活動の場を移し、さらにマクロ経済学に磨きをかける。再び増山氏とタッグを組み、取り組む新著が楽しみだ。

(浜條元保・編集部)


週刊エコノミスト2024年4月2日号掲載

最後の講義 竹田陽介上智大学教授が語る家族と恩師、そして経済学 浜條元保

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